「風の子学園」事件

広島県三原市沖、瀬戸内海の小佐木こさぎ島にあった「自然体験によって非行少年の更生」を標榜していた無認可施設「風の子学園」で1991年7月28日から翌29日にかけ、園長・坂井幸夫(当時67)が入所者2人を園内のコンテナ内に閉じ込めて監禁し熱中症で死亡させた虐待死事件。

兵庫県姫路市の担当者が、施設について十分な確認をしないまま、被害者を「風の子学園」に送り込んでいたことが指摘された。

事件の経過

園長は1991年7月28日午前1時半頃から翌日にかけ、「たばこを吸った」などと入所者の園生に言いがかりを付け、入所者の兵庫県姫路市立中学校3年の男子生徒(当時14)と広島県三原市の少女(当時16)を手錠でつなぎ、園内の「内観室」と名付けられたコンテナの中に約44時間にわたって監禁した。監禁現場となったコンテナは、JRの貨物列車のコンテナとして使われていたものを譲り受けて転用したという。

事件直前、当日退園予定だった被害者の男子生徒について、「更生されていない」と言いがかりを付けて退園時期を延長させることで「授業料」名目で生徒の家庭から金を支払わせようと図り、園内の馬小屋にわざと1000円札とたばこ一箱を見えるように放置したうえで、男子生徒に対して「馬小屋にある空き缶を取ってこい」と命じ、生徒にたばこを吸わせようとする工作を行っていた。

園長は2人の監禁の際に食事を与えず、7月28日夕方4時過ぎに麦茶を1杯与えたのみだった。

最寄りの観測地点の福山市の当時の気温は、7月28日の最高気温が33.8度、翌29日も31.4度を記録していた。コンテナ内の温度は50度台~60度近くになっていたと推定されている。

園長は2人の異変に気付いてからもしばらく放置し、7月29日午後9時半になって119番した。通報時は泥酔状態だったという。消防は「高速艇を使えば10分ほどで対岸の三原市本土に搬送できる」として高速艇を手配しようと打診したものの、園長は「自分で船を手配する」などとして拒否した。

最終的には、通報から約3時間近く経った7月30日午前0時過ぎに、被害生徒らは三原港に到着した。港で待機していた救急隊員は生徒らの状況をみて「瞳孔が開いている。死後8時間程度経っているのではないか」と感じ、その場で死亡が確認された。

施設・園長の略歴

園長は戦時中には海軍整備兵として活動し、戦後は広島市内の造船所に勤務していた。勤務先を1982年に退職し、海洋スポーツ少年団での指導を経て、1983年に広島県佐伯郡大柿町(現在の江田島市)の旧中学校校舎で「飛渡瀬ひとのせ青少年海洋研究所」を開設した。

当該施設ではスパルタ教育を伴う「指導」で青少年の更生をおこなうと標榜し、当該施設経営時代には、同様の活動をしていた戸塚ヨットスクール校長・戸塚宏とも複数回にわたって面会している。

しかし地域からは「監獄のようだ」などの悪評が出て、1980年代後半には活動停止した。

その後1989年11月、前身施設を実質的に移転させる形で、小佐木島に「風の子学園」を開設した。園長は、休止中だった島の海水浴場周辺で青少年非行更生施設を作りたいと島民向けの説明会をおこなったが、島民からは反対されたことで、表向きは「老人福祉施設」という名目に変更したと嘘をついて島民の了承を得た。しかし老人福祉施設は建設されず、「風の子学園」が建設されたことになる。

園長は、教育や児童心理などに関する専門的な勉強をした経験はないとみられるという。

「風の子学園」は、事件後閉鎖された。

刑事処分

広島県警三原署は1991年7月30日午後、死亡した園生2人に対する監禁致死容疑で、園長を逮捕した。広島地検福山支部は1991年8月19日、園長を監禁致死容疑で広島地裁福山支部に起訴した。

また、▼1990年7月、入所者の23歳男性(岡山県倉敷市)を学園内の小屋に9日間監禁し、急性腎不全や脱水症などで43日の入院加療を要する傷害を負わせた。▼1990年2月、8歳少年(兵庫県姫路市)に対して「指導」と称して蚊取り線香を押しつけてやけどさせた。▼1990年6月、16歳少女(香川県高松市)が「施設から脱走しようとした」として9日間コンテナに監禁した。▼1990年7月、14歳少女(広島県東広島市)を、特に理由なく5日間コンテナに監禁した。――といった、別の園生4人への監禁や虐待行為も明らかになったとして、1991年8月21日付で監禁致傷などの容疑で再逮捕し、1991年8月23日付で追送検し、1991年9月11日付で追起訴した。

1991年10月1日、広島地裁福山支部で初公判が開かれた。園長は事実関係そのものについては認めたものの、「喫煙に対する懲罰や脱走防止であり正当。不法な監禁ではない」として起訴事実を否認した。公判では監禁行為を「教育の一環」と主張し、「良い『体罰』と悪い『体罰』がある。自分は暴力的な悪い『体罰』は加えていない。自分の行為は暴力ではなく、良い『体罰』である」などとした。

広島地裁福山支部は1995年5月17日、園長の行為を「監禁は教育的措置を著しく逸脱したもので、危険性が高い」「少年の退園を阻止し、自己の面子と学園の維持・存続を図るという不当なもの」として、教育ではなく監禁行為と断じ、懲役6年(求刑懲役10年)の判決を下した。地裁判決では、「(問題行動を起こす生徒の)隔離で当面の問題回避という(親・学校・社会の)軽率な風潮が背景にある」として、そのような風潮によって被告が増長して犯行を容易にさせたとも指摘した。

園長は広島高裁に控訴した。広島高裁では1997年7月26日、一審での事実認定をほぼ踏襲したものの、園長が「深く反省している」と判断したことや、身柄拘束の期間が5年を超えていること、高齢で健康状態に問題があることなどを勘案して、懲役5年に減刑する判決を出した。

園長は最高裁に上告したが、その後取り下げ、実刑判決が確定した。

民事訴訟

被害者の一人・兵庫県姫路市立中学校3年男子生徒の遺族は、「入園を勧めておきながら、施設の様子を確認しなかったなど安全配慮義務を怠った学校にも責任がある」として、1992年8月4日付で姫路市と園長を相手取り、総額7000万の損害賠償を求める訴訟を、神戸地裁姫路支部に提訴した。

遺族側は、▼中学校の生徒指導担当教諭と姫路市教委少年愛護センター担当職員が、入園を強く勧めた。▼校長は「風の子学園」入所を出席扱いとする約束をした。▼虐待を知って退園を申し出たが、学校側が引き留めた。▼学校・姫路市教委は、園長の言葉を鵜呑みにして必要な実態調査をしなかった。――などと訴えた。

姫路市は請求棄却を求めた。しかし神戸地裁姫路支部は1997年11月17日、学校側の安全配慮義務を認め、姫路市と園長が連帯して約6400万円を支払うよう命じる判決を出した。姫路市については、1200万円を上限に賠償支払い義務があると判断した。

園長は控訴せず、園長に対する部分のみ一審で確定した。しかし姫路市は判決を不服として控訴した。また遺族側も「認定範囲が十分ではない」と判断して控訴した。

二審大阪高裁は1998年12月11日、一審判決を支持し、双方の控訴を棄却した。

姫路市は最高裁に上告した。また遺族側も市の上告を受け、附帯上告をおこなった。最高裁は1999年10月30日付で上告棄却を決定し、姫路市の法的責任が裁判で確定した。