岐阜県立岐陽高校「体罰死」事件

 岐阜県岐阜市にあった岐阜県立岐陽高校(廃校・現在は岐阜県立本巣松陽高校に統合)で1985年5月、修学旅行中の宿舎で、「禁止されていたドライヤーを持ち込んだ」として担任教諭が生徒に「体罰」を加え死亡させた事件。加害者となった教諭は普段は「体罰」を使わない教員だったが、この学校では「体罰」や管理教育が強く推奨される体質をもった雰囲気で、他の教員から「指導が甘い」などの圧力を日常的に受けていたことが事件の遠因となった。

経過

 岐阜県立岐陽高校では1985年5月、2年生を対象に、科学万博見学の修学旅行が茨城県方面で実施された。

 5月9日午前8時頃、宿泊先の茨城県筑波郡谷田部町(現・つくば市)の宿舎の一室で、「持ち込みを禁止されていたドライヤーを生徒3人が持ち込んで使っていた」として、生徒指導担当の教諭・F(当時32歳、男性)と生徒らの担任教諭・A(当時36歳、男性・英語科担当)が当該生徒を呼び出し、指導をおこなった。

 まずFが生徒3人を殴るなどした上、Aに対して「市岐商(事件直前の1985年3月までAが勤務していた、前任校の岐阜市立岐阜商業高校)の生徒指導はこんな(生徒に「体罰」を加えないような甘い)ものか」と、暗に暴行をけしかけた。

 Aはもともと「体罰」をおこなわない教師だった。しかし同校では当時「体罰」や教師の暴力が強く容認・奨励される体質をもった学校で、Aは同僚教諭から日常的に「『体罰』をおこなわないのは指導が甘い」という圧力を受けていたという背景もあり、Aは「自分もやらねばならない」と思い、生徒らに対して暴行を加えた。

 うち1人の男子生徒は、Aから暴行を受けた直後に容態が急変した。生徒は救急搬送されたが約2時間後に死亡した。死因は暴行によるショック死と鑑定され、警察はAを傷害致死容疑で現行犯逮捕した。

 Aはその後起訴された。Aは起訴事実を認めた上で、「事件の背景には、管理教育が進む学校側の体質があった」と主張した。

 水戸地裁は1986年3月18日、Aに懲役3年(求刑懲役4年)の実刑判決を下した。判決の理由として、「発端が校則違反にあるとしても、高校生で教師対生徒という関係にあったのだから、相応の説諭で臨むべきだった」と指摘した。また「当時同校では『体罰』が横行していた」「直前のFの言動に煽られた面もある」などの事情に配慮しながらも、それでも生徒を死亡させた重大性を考慮すると実刑はやむを得ないと結論づけた。双方とも控訴せず、一審判決が確定した。

 またFも書類送検されたものの、「死因になるほどの暴行ではなかった」として不起訴になった。

 Aは逮捕からしばらくして岐阜県教育委員会から懲戒免職処分を受け、またFも停職3ヶ月の処分を受けている。