滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件

北海道滝川市立江部乙小学校6年生だった女子児童は2005年9月9日、「みんなに冷たくされている」「キモイといわれた」などいじめを訴える遺書を残して首吊り自殺を図った。児童は病院に搬送されて治療を受けたが、意識が回復しないまま4ヶ月後の2006年1月6日に死亡した。

遺族は事件発生後、遺書の存在を学校や滝川市教育委員会担当者に知らせた。校長は遺書の内容を自分の手帳にメモしたが、後日遺族から「メモしていた」と指摘された際にメモの事実を否定した。また教育委員会幹部は、遺族から遺書を読んでほしいと要請された際「これは遺書ではない。文書だ。見たくもない」などと発言し、遺族と口論になった。

2006年6月には遺書のコピーを滝川市教育委員会が入手したが、それでも「いじめの原因は特定できない」という主張に終始した。

また遺書の内容は滝川市教育委員会を通じて北海道教育委員会へと送付されたが、北海道教育委員会は滝川市教育委員会から送付された遺書の内容を紛失していたことも明らかになった。

事件発覚後の対応

いじめ自殺事件の概略は、2006年10月1日付の『読売新聞』で初めて新聞報道された。新聞報道を受けて滝川市教育委員会は記者会見をおこなったが、会見内容が世論の強い反発を招く形になった。ほかの新聞社も後追い取材をおこない、大事件として各紙で連日大きく報道されるに至った。

2006年10月5日に滝川市教育委員会の会議が開催され、市当局は一転していじめの内容を認めた。しかし「マスコミで大きく報じられたからやむなく認めた」ともとれるような内容だった。滝川市ではこの問題を受けて教育長が辞職し、また「これは遺書ではなく文書」と発言した教育委員会幹部など、いじめ事件の対応に関わった教育委員会幹部2人を更迭の上で停職処分とした。また北海道教育委員会は、当時の校長や担任教諭に処分をおこなっている。

札幌法務局は2007年5月8日、当時の担任教諭と事件当時の校長に説示、滝川市教育委員長と後継の校長に対して再発防止を求める措置をおこなった。

また北海道教育委員会は道内の児童生徒に対していじめ問題の調査を実施しようとしたが、教職員組合が非協力を呼びかけるような態度をとったことも報じられた。

事件の影響

この事件で世論の反響が大きかったことに加えて、事件報道直後に福岡県筑前町立三輪中学校いじめ自殺事件などほかの重大ないじめ自殺事件が立て続けに発生したことも重なり、いじめ問題が約10年ぶりに大きな社会問題として注目を集めることになった。

遺族が損害賠償訴訟

遺族は2008年12月19日、「当時の担任教諭がいじめを見逃した」「自殺後の市教委の対応が不十分だった」などとして、滝川市と北海道を相手取り計約7600万円の損害賠償を求める訴訟を札幌地裁に提訴した。

2009年2月27日に第1回口頭弁論がおこなわれ、北海道と滝川市はいじめの事実や自殺との因果関係などについては認めたものの、自殺の予見可能性はなかったとして請求棄却を求めて争う姿勢を表明した。

2010年2月には、北海道や滝川市が自殺の予見可能性を認めることなどで、和解の方向で原告・被告の双方が合意した。関連議案の可決を経て、 2010年3月に和解が成立した。