佐賀県出身の男性が1991年に出身中学校の同窓会を計画し、参加した同窓生を爆発物や毒入りビールで殺害する計画を立てた事件。中学生時代のいじめを苦にして報復を図ったとされている。事前に摘発され未遂に終わった。
事件の経過
被疑者の男性(1991年当時27歳)は「中学校在学当時、持ち物が隠される・自転車を壊される・物笑いにされるなどのいじめがあった」という。
男性は中学校卒業直後からいじめ報復を考えていた。報復に必要な知識を得るために工業系大学へ進学し、また就職も化学系企業を選んだ。事件直前には関東地方で暮らしていたが、1991年正月に開かれることになった同窓会に備えて当時の自宅アパートで爆発物を製造し、1990年の年末から佐賀県内の実家に帰省していた。
男性は同窓会の幹事として1990年末、会場の飲食店に「同窓会用」として毒入りビールを持ち込んだ。ビールは店で保管され、ほかの客に回されることはなかった。
殺害計画実行直前の1991年1月1日、「殺人計画書」などと記載された文書を男性の家族が発見し、警察に連絡して発覚した。家族からの通報を受け、男性が店に持ち込んだビールを検査すると、毒物が検出された。
男性は警察の事情聴取を受けたために同窓会に出席できず、事件は未遂に終わった。同窓会は、男性の犯行については一切知らされないまま予定通り実施され、被害者を出すことなく無事に終了した。男性の欠席理由については、同窓会には「急な仕事が入った」と伝えられたという。
同窓会開催とほぼ同時間帯の1月2日、男性所有の車に積まれていた不審な木箱を警察官が検査していた際、木箱から発火し警察官3人がけがをした。男性が製造した時限爆弾が作動したとみられる。
男性は事件発覚当初「精神障害の疑いがある」として措置入院させられたが、「精神病ではない」と診断が下って措置入院が解除されたため、警察は1991年1月22日に男性を逮捕した。
佐賀地裁は1992年1月23日、男性に懲役6年の実刑判決を下した。
男性側は控訴したが、福岡高裁は1992年7月14日に控訴棄却した。