熊本県宇土郡(現・宇城市)の町立小学校で1997年~1998年にかけ、女性教諭が担任していた3・4年のクラス(2年間持ち上がり)で、日常的に暴力や虐待行為を繰り返したとして問題になった事件。不登校になる児童や、ケガをした児童が出た。
経過
1997年度にこの小学校に着任した女性教諭は、1997年度に3年生の担任、1998年度に同じクラスをそのまま持ち上がりで4年生の担任となった。
教諭はこのクラスで、児童らに対して日常的に暴力や虐待行為を繰り返した。確認されただけでも1997年秋頃から、授業中に問題が解けなかったなどとしてコンパスを投げつける・三角定規で殴る、給食を食べさせないなどの行為を繰り返した。
学校は1997年秋頃に教諭の「体罰」に気付き、繰り返し指導していたという。しかし教諭の暴行はその後も続いた。
1998年秋には、運動会の全体練習の際に「うまくできなかった」として児童を押し倒し、他の教諭が止めに入る場面もあった。校長も運動会の際の暴行を目撃していた。
1998年12月には、教諭の暴力を苦にして男子児童2人が不登校になった。
また不登校問題発生とほぼ同時期に、別の女子児童Aの母親が、自分の子どもの青あざなどに気付いて事情を聴いた。女子児童は当初教諭を恐れて「ドッジボールでぶつけた」などといっていたものの、最終的には「この教諭からいじめられている」と話した。そのため母親が学校に届け出た。この女子児童に対しては、直接的な暴力に加えて、「宿題の課題について、この児童の分だけ意図的に採点しなかった」などの嫌がらせもあった。
学校側の調査で、女子児童Aおよび不登校になった男子児童2人を含む、計10人の児童が教諭からの暴力被害を訴えた。
学校側は1998年12月、教務主任を副担任としてこのクラスに付けて様子を見る措置をとった。しかしその後も教諭の暴行はやまなかった。
暴力事件で刑事告訴
教諭は1999年3月、前述の女子児童Aの腹や足を蹴ったりつねるなどの暴行を加えた。女子児童は打撲傷と診断された。この女子児童は県外の親戚宅に、教師の暴行を苦にしていることをあげて「死にたい」などとする電話をかけていたという。
学校側は1999年3月の暴力事件を受け、教諭を自宅待機させる措置をとった。
女子児童Aの母親は1999年3月8日、教諭を傷害容疑で熊本県警大矢野署に刑事告訴した。しかし学校側が、女子児童の親族が勤務する職場の関係者に対して、告訴を取り下げさせるよう依頼した。
職場関係者は学校の意向を受けて母親を説得し、翌3月9日付で告訴を取り下げさせた。しかし警察は「傷害罪は親告罪ではない」として、告訴取り下げ後も引き続き独自捜査をおこなった。
女性教諭は1999年3月に辞職願を出し、熊本県教育委員会はこれを受理した。教諭は処分を受けないまま、1999年3月末日付で依願退職した。