大阪市では、橋下徹・維新市政時代の2014年~15年、「選択弁当方式だった中学校給食を、問題点を解決しないまま全員喫食強制にした」ことで、生徒からの不満が拡大して大きな問題になった。
中学校給食をめぐる歴史
2000年代までは「同和行政」で導入、一度撤廃
大阪市では1970年代~2000年代にかけて、同和行政の一環として、約130中学校のうち一部の「同和教育推進校」とされた学校やその関連校12校のみに自校調理方式の中学校給食が実施されていた。一方で、給食未実施校へは「愛情弁当論」「中学生は食の嗜好が強まるので画一的な給食はなじまない」などとして実施を拒否してきた経緯がある。
当時の市会会派は、共産党が1990年代から、「中学生の心身の成長を保障するに際して、バランスの取れた給食が必要」「大阪市教委の主張は学校給食法の趣旨に反する」という観点から、全校への中学校給食導入・拡大を繰り返し求めていた。
また当時から不公正だと指摘されてきた同和行政の是正・解消の問題との絡みでも、「給食を全校に拡充することが、不公正な同和行政解消にもなる」「愛情弁当が重要・画一的な給食はなじまないとする一方で同和地区のみに給食を導入する市教委の主張に沿うと、『同和地区の生徒には愛情弁当は必要ない・画一的な給食で十分・同和地区の家庭では弁当すら作れない』と市教委が主張していることになってしまい、それこそ同和地区への偏見になってしまう矛盾が出る。すなわち、市教委の主張には道理も論理的整合性もない」と主張していた。
一方で当時の市会では、「愛情弁当」として中学校給食導入に消極的な会派が多数を占めていた。「愛情弁当」を一番強く主張し、中学校給食導入に消極的な意見を述べていたのは、当時自民会派にいたものの、その後自民党を飛び出して大阪維新の会の中枢となった市議である。
2000年代半ばの関淳一市長の時代に、不公正乱脈な同和行政への批判と、是正の動きが強まった。旧「同和教育推進校」での中学校給食も不公正な同和行政の一つだったとして、同和行政の適正化・逆差別解消として関市長の下で廃止の方針が決まり、2008年3月に一度全廃された(廃止時は平松邦夫市長に交代)。
全校を対象に希望者への配送弁当を実施する「昼食提供事業」が導入されたものの、それはあくまでも家庭弁当を持参できない生徒に対する「セーフティネット」の位置づけだった。
平松邦夫市長の下で給食実現へ、橋下知事は妨害
2007年12月に平松邦夫市長が就任した。平松市長は選挙時には「中学校給食の実現」を重点公約に掲げ、2009年1月には選択方式による中学校給食の実施を目指す方針を決めた。
平松市政のもとで、それまで中学校給食導入に懐疑的だった会派も導入支持の方向に転じた。
一方で、当時の橋下徹大阪府知事は、府として中学校給食導入費の差等補助を拒否するなどした。
中学校給食導入には困難があったものの、平松市政の任期の最後の2011年9月、2012年度より選択制デリバリー弁当方式での中学校給食導入が決まり、関連予算が成立した。
しかし平松市長は2011年11月の市長選挙で落選し、2012年の実施時には市長が維新・橋下徹に交代していた。
橋下・維新市政のもとで混乱拡大
デリバリー弁当中学校給食は、2012年9月に一部校で導入され、2013年9月には全校に広がった。しかし実施すると課題が指摘され、選択率が10%にも満たない状態に低迷した。
しかし橋下市長は、選択率低迷の理由や改善策などを分析せず、「全員喫食に移行すれば必然的に利用率が100%になる」という安易な発想で、中学校給食の全員喫食制への移行を打ち出した。
同時期に実施された大阪市教育委員会の調査では「全員喫食を希望している保護者が多数にのぼる」とされた。その一方で当該調査では、保護者は小学校のような自校調理給食を念頭にして回答した、デリバリー弁当方式は想定もしていなかった可能性が高いのではないかとも指摘された。
2014年2月4日に全員喫食制への移行方針が決まり、2014年4月より移行した。そのことで、生徒からの不満は増大した。
弁当方式のため「おかずが冷やされた状態で出てきておいしくない」「量の調節ができない」などの不満の声が上がった。初期には、常温でも食べられるレトルトカレーのパックがそのまま出てきたこともあった。
残食も突出して多くなり、半分以上残す生徒が7割以上にのぼっているという調査結果も出た。汁物などは食缶方式に改善するなどの対策をおこなったものの、根本的な解決には至らず、不満が増大する一方となった。
さらに異物混入事案多発などの問題も指摘された。
ふりかけ問題
中学校給食の問題は2014年時点ですでに大きな問題となり、教育委員会も対策を検討していた。そんな中で出てきた奇策が「ふりかけ」。
橋下徹は2014年11月の教育委員との意見交換会で、「ご飯にふりかけをかけてはどうか」と発言した。
市教委事務局担当者は、学校給食の塩分基準・栄養基準をオーバーする可能性があるとして難色を示した。しかし橋下は「ふりかけの判断ぐらい学校現場に委ねられなければ、中央集権そのものだ」と主張し、「ふりかけ問題」がしばらく続くことになった。
大阪市教育委員会は2015年1月、ふりかけ持ち込みは校長の裁量でできるとする通知を、各中学校宛に出した。
「おっちゃん、これ、給食ちゃうで。餌やで」
2015年2月27日の大阪市会本会議で、会派「OSAKAみらい」(民主党系)の福田賢治市議の代表質問では、同市議が中学校給食の状況を視察に行った際、中学生から「おっちゃん、これ、給食ちゃうで。餌やで」と声をかけられたという話を紹介しながら、中学校給食の改善を求めた。
しかし橋下市長は、このセンセーショナルなフレーズに噛みついて揚げ足を取るような形で、「自分の子どもが『餌』などと言ったら怒る」「食育がなっていない」などとすり替えた上、「(近隣小学校で調理したものを中学校に運搬する)親子調理方式などは、自治体の規模が大きすぎるから、学校の組み合わせを考えるだけでも難しいのでできない。だから大阪都構想」と、給食の改善から目を背ける答弁をおこなった。
「子ども市会」で大問題に
大阪市会では毎年夏、市内の小学生および中学生が「子ども議員」となり、市政に関する課題を模擬議会形式で議論し発表する「子ども市会」を実施している。「子ども市会」では、市長答弁もおこなわれる。
2015年8月7日に実施された「中学生子ども市会」では、中学校給食の改善に関わる議題も取り上げられた。
中学生からは「おかずが冷たく、おいしいと言っている生徒はほとんどいない」などとする意見が出された。
橋下徹市長は答弁で、生徒らの意見を受けて「6年後をめどに、学校調理方式への移行への改善を進めたい。味も改善したい」とする見解を初めて出した。
さらに橋下市長は、中学生らに逆質問をおこなった。「給食を食べて、まずいと思う人はどれくらいいますか」。――その問いに対して、参加していた子ども議員の中学生のほとんどが挙手した。
この「子ども市会」の様子はマスコミでも大きく報道され、反響を呼んだ。
学校調理方式への移行
「子ども市会」の2015年8月以降、「学校調理方式」での給食改善に舵を切った。
「学校調理方式」は、「自校調理方式」と、近隣の小学校で調理して中学校に運搬する「親子調理方式」を併用する総称として使用されている。
2015年度2学期より順次、学校調理方式の導入を始めた。移行に際しては数年計画で順次各校に導入することとし、従来型のデリバリー弁当方式を引き続き提供する形になる学校では、暫定的に家庭弁当との選択制に切り替えた。
4年後の2019年2学期に全校での学校調理方式への移行が完了した。
橋下市政与党の大阪維新の会やその支持者は、「維新が給食を改善した」かのように一面的に言い立てている。しかし実際は、2012年9月~2015年8月の3年、特にデリバリー弁当の全員喫食を導入した2014年4月以降の1年4ヶ月の間、維新市政は状況を放置し悪化させてきた、改善を拒否して改善時期を遅らせてきたと言われるべきものとなっている。