福岡県北九州市立中学校で卓球部顧問を務めていた教諭(2003年当時35歳)が2003年度、卓球部の生徒に指導と称して悪質な「体罰」・暴行を繰り返したとして懲戒免職になったが、不服を訴えて停職6ヶ月の懲戒処分に修正され、2005年度以降何の研修もなしに復職した問題。
経過
北九州市立緑丘中学校で2001年度から卓球部顧問となった教諭・Hは、顧問就任直後から暴力・「体罰」が問題となった。
問題になった行動の内容としては、生徒を平手でたたいたり足蹴りするなどの暴行や、「試合で負ければボコボコにする」「退部するなら絶対に差別する。この裏切り者」「お前を死ぬまで追い詰めるけの」「カス」「クズ」などの暴言を繰り返したことがあげられる。またHは、「部活のことを親にはしゃべるな」などと生徒に口止めを図った。
当時の部員約20人全員が被害にあったとされ、教諭の暴力や暴言が原因でチック症状や自律神経失調症を発症したり、不登校に追い込まれた生徒が複数いた。
被害生徒や保護者は2001年の時点で学校に訴え、北九州市教育委員会は2001年の時点で暴力の情報をつかみ、指導をおこなっていた。なおこの教諭については、緑丘中学校に赴任する前の前任校でも、暴力が問題になっていたという訴えがある。
教育委員会の指導にもかかわらず、Hの暴力は2003年まで続いていた。暴力が繰り返されていることを把握した保護者らは2003年9月に保護者会を開き、再び暴力被害を訴えた。しかし校長は、「市教委に問題が知られると、自分の立場が悪くなる」などとして、暴力を放置した。「北九州市教育委員会に問題を訴えるから校長も同行してほしい」と保護者が要請したが、校長はこれを拒否した。
保護者は2003年10月初旬に北九州市教育委員会を訪問し、Hの暴力による被害を訴えた。市教委が事実関係を把握した後の2003年10月9日から、Hは自宅謹慎に入ったという。また保護者は、2003年10月末には、「Hを免職にしてほしい」との要望書を提出した。
北九州市教育委員会は、Hの行為を「体罰」と認定した。「体罰」が原因で生徒を自律神経失調症発症に追い込んだことや、不登校に追い込んだことも認定した。「目立った反抗もしない生徒に日常的に体罰を加えており、極めて悪質」などとして、2003年11月26日付でHを懲戒免職にした。また校長についても、「体罰の事実を把握しながら放置した」として、減給処分の上校長職から更迭して研修措置に付した。
懲戒免職の時点では、Hは「卓球部を強くするためにやった」などと暴力を認めていた。
不服申立と不当な復職
しかしHは懲戒免職処分を不服として、北九州市人事委員会に不服申立をおこない、北九州市教育委員会を相手取って提訴するなどした。この際、「Hは自ら嘆願書をつくり、かつての教え子に半強制的に署名させた」という情報もある。
また、ある卓球指導者グループがHを支援していた。そのグループでは、卓球教室のインターネットサイト上で同調者らが事件に関する教諭擁護の書き込みをおこなっていた。
北九州市人事委員会は2005年までに、暴力の事実認定はそのままにしながら、懲戒免職は重すぎるとして、停職6ヶ月の懲戒処分に修正した上で復職させるよう裁定し、北九州市教育委員会もそれを受け入れた。
Hは2005年4月より別の北九州市立中学校教諭として復職した。その際に、停職6ヶ月の懲戒処分に相当する行為にもかかわらず、復職の際の研修などは一切行われなかったという。2005年5月、Hが復職したという事実関係が新聞報道された。
加害者の転任先
Hは2005年度以降2年間同校に勤務し、2007年度からは別の北九州市立中学校に勤務した。2007年度に着任した中学校では、Hを支持した卓球指導者グループとつながり、復職運動に何らかの関与をしたとみられる教諭と同じ学校に勤務する形になった。
その後複数の中学校への転任を重ね、各校で通常通りに教科(理科)の授業や学級担任、生徒指導主事、学年主任などを歴任したのち、2020年3月に北九州市教員を退職したと発表された。