おかやま山陽高校「全裸ランニング」事件

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岡山県鴨方町(現・浅口市)の私立おかやま山陽高校の野球部で、監督(当時35歳)が部員に対して全裸でグラウンドを走ることを強要していたことが、2005年9月までに発覚した事件。

概要

おかやま山陽高校の野球部で、監督を務めていた男性・Iが「メンタルトレーニング」と称して、部員に対して全裸でグラウンドを走ることを強要していたことが、2005年9月までに発覚した。

Iは2000年、自身の出身校でもある沖縄県立高校の野球部監督として、チームを甲子園大会に初出場させた経歴を持つ。沖縄での指導実績が評価され、その後2002年におかやま山陽高校から招聘されて監督に就任した。Iは教員免許を持たず、教育に関する専門的な勉強の経験はなかったという。

全裸ランニングは、2002年から3年間にわたっておこなわれていたという。2002年にも部員から学校に苦情が寄せられたが、学校は「部員の悪ふざけ」と軽く考えて問題を放置したという。Iは2005年5月にも全裸ランニングをさせていた。

Iは2005年6月、部員の喫煙などの不祥事を把握しながら高野連に報告しなかったとして、監督を辞任した。Iは監督辞任後、学校職員として3年生部員の進路指導を担当していたが、2005年8月には部員に「体罰」を加えた。

「体罰」事件の事実関係調査の中で、全裸ランニングの問題が明らかになった。学校側は事実関係を調査し、少なくとも2回の全裸ランニングの事実を確認した。

Iは「体罰」事件の責任をとるとして、2005年9月1日付で依願退職した。

元監督の刑事処分

逮捕・送検

岡山県警玉島署は2005年11月18日、「2005年7月の全裸ランニング強要」「2005年4月・6月にそれぞれ複数の部員に加えた『体罰』」に関して、暴行と強要の疑いでI元監督を逮捕した。Iは「『愛のむち』としてやった」などと容疑を認めた。

Iは岡山地検倉敷支部に送検されたが、2005年12月9日に処分保留のまま釈放された。

起訴

岡山地検倉敷支部は2006年4月4日までに、暴行と強要の罪でI元監督を在宅起訴した。

被害にあった部員の大半は「指示に従わないと暴力を加えられる恐れがある」と認識していたといい、岡山地検倉敷支部はIの行為について「日常的な暴力を背景に全裸で走らせたのは悪質」と判断した。

2006年5月23日、岡山地裁倉敷支部でI元監督の初公判がおこなわれた。公判でIは、全裸ランニングや暴行の事実については一部認めたものの、「全裸ランニングの指示に従わねば暴行されるというような恐怖を部員に与えたことはない。強要はない」などとして全裸ランニングの強要を否認した。また暴行についても「指導に必要な範囲」として起訴事実を一部否認し、無罪を主張した。

検察側は2007年2月23日の公判で、Iに懲役1年6ヶ月を求刑した。

有罪判決が確定

岡山地裁倉敷支部は2007年3月23日、Iに懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の有罪判決を下した。判決では暴行を明らかな「体罰」と断じ、また全裸ランニングについてはIが「黙示の脅迫」をもって強要したと判断した。その一方で判決では、Iが野球部監督としての将来を絶たれたことや被害者に賠償金を支払ったことなどを挙げ、執行猶予が相当と判断した。その後判決が確定している。

業務上横領での告訴は不起訴処分に

Iには「野球の用具代や遠征費用などを着服した」という別の疑惑も浮かび上がり、野球部員らが業務上横領容疑で告訴した。しかし業務上横領容疑については、岡山地検倉敷支部は2007年9月までに、嫌疑不十分として不起訴処分にした。

被害者が損害賠償などを求めて提訴

被害者の元部員らは2008年4月8日、「学校やI本人からは謝罪の一言もない」「刑事事件ではIは有罪になったものの、学校の責任は明らかになっていない」などとして、I個人と学校を運営する「学校法人第一原田学園」に対して、損害賠償を求める訴訟を岡山地裁に提訴した。

監督のその後

元監督はその後、愛知県のNPO法人が運営していた、高校を中退した球児を対象にした社会人野球チーム(2023年解散)の監督に招聘され、野球指導にあたっていた。テレビ局が2013年、チーム母体のNPO法人に密着したドキュメンタリー番組を放送したが、番組の中でこの監督が、野球の指導の際に部員に平手打ちを加えた様子が放送され、批判を浴びた。

監督はその後、2014年に病気で死去したという。

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