高校三原則

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第二次世界大戦終戦後の学制改革で実施された、新制高等学校教育の「小学区制・総合制・男女共学」の3つの原則は、「高校三原則」とよばれる。

第二次世界大戦前の旧制学校では格差を前提としたシステムだったため、戦後の学制改革では、教育を受けたいと希望するすべての人に門戸を広げるための方策として導入された。なお「高校三原則」という言葉をいつ誰が最初に使用したかについては、はっきりしていない。

小学区制は、通学区域をできるだけ小さくして、通学区域内の進学希望者はすべて地域の学校で受け入れることを企図したものである。

総合制は、同一学校の中に普通科と職業科など多様な課程・学科を併設し、他学科開講の科目の学習や生徒間の交流などの中で生徒の全面的な発達を企図したものである。

男女共学は、旧制学校では男女別に進学できる上級学校に違いがあり、教育内容も大きく異なっていたことから、男女間の格差の是正を企図したものである。

その一方で、受験競争の激化や高校の多様化などの要因により、多くの地域で小学区制と総合制については原則が崩れていった。多くの地域で、学区の拡大・廃止や、総合制をやめて普通科もしくは専門学科単科の高等学校へと改編する例がみられた。

男女共学については、戦後の改革で共学制に転換した公立高等学校では多くの地域で維持され、また学制改革後に新設された公立高等学校についてもごく一部の例外を除いて共学として設置されている。

高校三原則による男女共学化には、地域によって実施状況に色合いの違いがあった。GHQの担当者が厳格に施策を進めた西日本では、近隣の旧制男子学校と旧制女子学校の合併、近隣校どうしでの生徒交換などでの共学化が比較的強力に進められた。

一方で東日本ではどちらかといえばGHQの指示が緩い傾向があり、北関東や東北を中心に男女別学の公立高等学校が発足することになり、数十年経っても別学のまま維持された例もみられる。

1990年代~2000年代には、別学が残る地域で別学校を共学化する動きも進んでいる。しかし、学校関係者からは「学校の伝統」などとした反対運動も発生している。

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