東京都東久留米市立中学校2年の女子生徒が1992年に自殺し、背景に教師の指導・「体罰」が指摘された事件。
事件概要
東京都東久留米市立中学校2年の女子生徒は1991年6月、林間学校の際に、就寝時間の見回りに来た女性教諭(40代・保健体育科)から「反抗的」としてほおを殴られた。
また1992年1月には、「授業時間を過ぎても教室に入らなかった」として、同じ教諭から「邪魔だから学校に来るな」などと怒鳴られたうえ、一緒にいた別の女子生徒の頭と自分の頭をぶつけられる「体罰」を受けた。
「体罰」事件に強いショックを受けた女子生徒は、事件当日から1週間家出した。帰宅後も「この教諭の授業を受けたくない」と強く嫌がった。心配した親が1992年2月20日に市内の別の中学校に転校させたが、2日後の1992年2月22日に自殺した。
自殺事件後
生徒の両親は、自殺直前の生徒の様子や友人の証言などから「自殺の原因は『体罰』」として、弁護士を交えて学校と話し合いをおこなった。
しかし該当教諭や学校は、林間学校での「体罰」は認めたが、1992年1月の「体罰」については認めなかった。また「体罰」と自殺との因果関係も否定した。
両親は「『体罰』で苦しむ子どもをこれ以上出してはいけない」として、東久留米市議会に「体罰」防止マニュアルを策定するように陳情をおこなった。
陳情をきっかけの一つとして、東久留米市教育委員会は1993年~1995年にかけて教師向け指導書「体罰やいじめをなくす人権尊重教育の推進」を作成した。同書は、「体罰」を受けた子どもが心理的に深く傷つくという視点を強調した内容となった。