富山県富山市立奥田中学校1年生だった女子生徒が1988年、同級生の実名を名指ししていじめを訴える遺書を残して自殺した事件。裁判では両親側の請求を棄却した。
経過
富山市立奥田中学校1年だった女子生徒は1988年12月21日、自宅マンションから飛び降り自殺した。
生徒は体が弱く入退院を繰り返し、学校で何度か嘔吐したこともあったという。同級生から「汚い」などといじめを受けていた。1988年6月には同級生に突き飛ばされて骨折し、また「○○(自殺した生徒)が死ぬことに賛成」なとと書かれたメモがクラスで回されていた。
生徒は同級生6人を名指ししていじめを訴える遺書を残していた。
学校側は事件直後、同じクラスの生徒40人にこの生徒への追悼文を書かせた。両親は学校側に「事実を知りたいから追悼文を見せてほしい」と頼んだが、学校側は「同級生を刺激したくない」などと主張して拒否した。
両親側は「同級生への心理的影響を考慮する」として、しばらく表立っての活動は控えていた。同級生が高校を卒業する年齢になった1994年になり情報公開請求活動を本格化させ、追悼文や事故報告書を見せてほしいと頼んだ。しかし追悼文は事件から約3ヶ月後に焼却されていたと回答があり、また事故報告書は黒塗りで開示された。
追悼文焼却については、1994年当時の校長によると「当時の担任教諭が焼却した」と話し、また当時の担任教諭は「自分の一存では話せない」とコメントしたという。
両親は「生徒への学習権の侵害」「学校・教育委員会は事故報告などの義務を履行しなかった」などとして、富山市を相手取り富山地裁に提訴した。しかし富山地裁(2001年9月)、名古屋高裁金沢支部(2003年12月)とも、自殺の主な原因はいじめと認定したものの、学校側の対応を不適切とは認めず両親の請求を棄却。両親は最高裁に上告したが、最高裁は2004年6月までに上告不受理を決定し、両親敗訴の判決が確定した。
遺族への中傷
自殺事件直後、遺族は同じ学校の3年生の保護者から「こんな事件を起こして、うちの子が動揺して受験に差し支えがあったらどうしてくれる」などと悪質な暴言を受けたという。また情報公開請求活動を本格化させると「子どもを英雄にして」「今さら昔のことを」などと、遺族宅への中傷電話が匿名で相次いでかかってきたという。