大阪府寝屋川市の寝屋川市立中央小学校に2005年2月、卒業生の少年(当時17)が侵入し、教職員3人を殺傷した事件。
事件概要
2005年2月14日午後3時10分頃、寝屋川市初町の寝屋川市立中央小学校の南門から若い男が侵入した。校舎内の1階廊下で男の姿に気づいて、「どちら様ですか」と男性教諭(当時52)が声をかけたという。男は来客を装って「職員室はどこですか」と逆に男性教諭に問いかけた。男性教諭は男を不審者と判断し、職員室に案内するふりをして校舎外に男を連れ出そうとしたとみられる。
職員室とは違う方向に案内されていることに気づき、「不審者と認識されている」と感じた男は、男性教諭を背後から刺身包丁で刺した。男性教諭は刺されたあと、1階の技能職員室へ駆け込み「不法侵入や」とほかの職員に知らせ、そのまま倒れたという。
男は男性教諭を刺した後、2階の職員室に向かい、職員室に居合わせた女性教諭(当時57)と女性栄養士(当時45)を刺身包丁で刺した。職員室で被害にあった教職員は校内の警報ベルを押し、校内に異変を知らせた。警報ベルの音に気づいた教職員らは、保健室付近で倒れていた女性教諭と女性栄養士を発見した。女性教諭と栄養士は、刺されたけがの手当てのために保健室に逃げ込もうとしたとみられる。
犯人は職員室で、養護学級在籍児童送迎用バスの運転手と約5メートル離れたところでにらみ合っていた。運転手は、男性教諭が刺されて倒れているのを発見し、事態を知らせるために職員室に駆け込もうとして、犯人とかち合った。 犯人はその際、職員室内にあったハンドマイクを使い、何かを話していたという。犯人が話した内容は聞き取れなかったということだが、犯行を誇示しようとしたとみられる。
学校はすぐに警察と救急に通報した。教職員は校内を回って「不審者が侵入した」と知らせ(校内放送の装置が犯人のいた職員室にあったために、校内放送が使えなかった)、児童らに教室の外に出ないように呼びかけた。事件発生当時、この学校では高学年の授業がおこなわれていた。低学年は放課後だった。
午後3時20分頃、駆けつけた大阪府警寝屋川署員が犯人を取り押さえ、殺人未遂容疑で犯人を現行犯逮捕した。犯人は警察官が到着するまでの間、さすまたを持った複数の教職員に遠巻きに取り囲まれながら、職員室の中にいた。警察官が到着した際、犯人は職員室の窓際で包丁を持ちながらたばこを吸っていたという。警察官が包丁を捨てるようにいうと、犯人はおとなしくしたがい、逮捕の際も特に抵抗しなかったという。
被害にあった教職員は病院に搬送されたが、午後4時過ぎに男性教諭が死亡した。女性教諭と女性栄養士は重傷を負った。児童らは容疑者が逮捕された後、運動場に避難誘導され、教職員や保護者の付き添いで集団下校した。児童への被害はなかった。
この学校には校門に監視カメラがあったが、監視担当の校長・教頭とも事件当時は校外に出張していたため、監視カメラのモニターをチェックする体制が手薄だったという。また、低学年児童の下校時にあたることもあり、3カ所ある校門のうち南門は開いていた。
この学校でも、大阪教育大学附属池田小学校事件(大阪府池田市・2001年6月)や、宇治小学校事件(京都府宇治市・2003年12月)などの事件を受けて不審者対策をとっていたが、結果的に想定を超えた事件が発生した形になった。
事件の影響
太田房江大阪府知事は2005年2月18日、大阪府内(大阪市を除く)の全公立小学校(733校)に警備員を配置する方針を表明した。警備員配置の経費については7億円の追加予算を府費で計上し、府と各市町村で半分ずつ経費を負担する。 一方、大阪市立小学校への警備員配置への府費補助については「大阪市は政令指定都市のために、都道府県並みの権限と財源を持っている」として、経費負担の対象外とした。それに対して大阪市教委は「大阪市民は府民税も納めており、補助するべきだ。対象から外されるのは承服できない」と抗議した。
寝屋川市教委は2005年2月25日、市立小中学校の正門に自動錠やテレビカメラ付きインターホンの設置や、市立小中学校・幼稚園の職員室に非常ベルを設置すると発表した。
捜査・裁判の経過
犯行の動機については当初、「小学校3年生以降、いじめに遭うようになった。いじめに遭った際、当時の担任教諭が助けてくれなかったことを恨みに思っていた」と供述したと伝えられる。一方、犯人の少年の3-4年生当時の担任教諭、5-6年生当時の担任教諭ともに「心当たりはない」と話したという。また大阪府警の捜査では、少年に対するいじめがあったかどうかの事実関係については確認できていない。被害にあった教職員は小学生時代の容疑者との接点はなく、いじめ問題が仮に事実だったとしても被害者には直接関係がない。この点については、少年は「襲う相手は、教師なら誰でもよかった」としていると伝えられている。
大阪府警は2005年2月16日、女性教諭と女性栄養士への殺人未遂容疑で、容疑者を送検した。大阪府警は3月2日、死亡した男性教諭への殺人容疑と、建造物侵入・銃刀法違反容疑で、少年を追送検した。 2005年8月4日、大阪家裁で最終審判が開かれ、少年の検察官送致(逆送)が決定した。大阪家裁は、少年は対人的な不適応などがみられる「広汎性発達障害」で、この障害が事件に間接的影響があったと推測できるとした上で「犯行は凶悪で非人間的。悪質性を考えれば検察官送致が相当」とした。
大阪地検は2005年8月8日、少年を殺人などの容疑で起訴した。2005年9月29日、初公判が大阪地裁で開かれた。少年は起訴事実を大筋で認めたものの、「僕の頭の中にあった目的は殺すということではなく、刺すことでした」と殺意を否認。弁護側は「広汎性発達障害の影響で、刺すことは考えてもその結果生じる事態については考えられなかった」として、事件当時心神耗弱状態にあったと主張。 検察側は少年法での最大の刑となる無期懲役を求刑。一方で弁護側は少年院での処遇を求めて結審した。
2006年10月19日に大阪地裁で、加害少年に懲役12年の実刑判決が下された。裁判では広汎性発達障害が事件に与えた影響を認めながらも、「その影響は過大視できない。結果の重大性などに照らして極めて悪質な事案で、もはや保護処分の域を超えている」として、刑事処分を選択。なお、裁判では広汎性発達障害を踏まえた処遇を求め、「少年刑務所での適切な処遇を強く希望する」と付け加えた。
大阪地検は「結果の重大性から考えて懲役12年は少なすぎる。無期懲役が相当」として、大阪地裁判決を不服として控訴。また弁護側も、「保護処分を求めていたのに懲役刑は重すぎる」という、地検とは逆の理由から大阪地裁判決を不服として控訴した。
二審大阪高裁では2007年10月25日、「少年の広汎性発達障害の影響は重視すべきだが、結果の重大性から処罰の必要性が極めて高い」「結果の重大性や峻烈な処罰感情などを考慮すれば一審判決は有利な事情を評価しすぎており、軽すぎて不当」と判断し、一審大阪地裁判決を破棄し、一審より重い懲役15年の判決を下した。懲役15年は、少年法の規定により無期懲役刑を緩和できる上限だということである。
被告少年は「裁判結果を受け入れる」・少年側の弁護士も「裁判の長期化は避けたい」として上告しない方針を決めた。また大阪高検は2007年10月31日、二審大阪高裁判決を受け入れ、上告しない方針を決めた。そのため、上告期限の2007年11月9日午前0時をもって、二審大阪高裁判決が確定した。