大津市立皇子山中学校いじめ自殺事件

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滋賀県大津市立皇子山中学校2年だった男子生徒が2011年10月11日に自殺した事件。背景に激しいいじめと、加害者側の事件正当化と居直り、学校や教育委員会ぐるみでの事件隠蔽などが指摘された。

この事件によって、いじめ防止対策推進法が制定されるきっかけとなった。

経過

滋賀県大津市立皇子山中学校2年だった男子生徒は2011年10月11日朝、自宅マンションから飛び降り自殺した。

学校側は事件直後にアンケートをおこなった。大津市教育委員会は2011年11月2日に記者会見し、死亡した生徒が同級生に殴られていたことや成績表を破られたなどの事実を認め、いじめと判断できるとする見解を示した。しかしこの時に公表されたいじめの内容は一部にとどまっていた。

事件後の2012年1月に就任した越直美大津市長は2012年3月13日、市内の中学校で一斉に卒業式が実施された際、当初別の中学校で挨拶予定だったのを急遽変更して皇子山中学校で挨拶、自身の学生時代のいじめ被害体験を明かしながら「全力でいじめのない社会に取り組む」と述べた。

遺族は2012年2月24日付で、大津市・いじめていたとされる生徒3人・各生徒の保護者を相手取り、約7700万円の損害賠償を求めて大津地裁に提訴した。(大津地方裁判所平成24年(ワ)第121号 損害賠償請求事件)

被告となった加害生徒は、被害生徒と同じクラスだったA・Bと、被害生徒とは別のクラスだったCの男子生徒3人とされている。

2012年5月22日、民事訴訟の第一回口頭弁論がおこなわれた。加害者側はいじめを全面的に否定し、また大津市も「自殺との因果関係は不明」と争う姿勢を示した。

事件が大きく報道される

自殺事件発生時や提訴時の報道は、最小限の事実関係のみを短文の記事で報じる小さな扱いだった。しかし死亡した生徒への悪質ないじめがあったという同級生の証言が複数ありながら学校・市教委が公表していなかったことが2012年7月4日に発覚し、各マスコミで大きく報道された。

アンケートでは、「生徒が自殺の練習をさせられていた」「ハチの死骸やゴミ・紙など異物を無理やり食べさせられようとしていた」「金品を恐喝されていた」「生徒の死後、教室に掲示された生徒の顔写真が、画鋲で穴を開けられたり落書きをされていた」「万引きを強要されていた」「葬式ごっこがあった」「加害者が被害者について『死んでくれてうれしい。でももう少しスリルを味わいたかった』と話していたのを聞いた」など、いじめの実態が次々と明らかになった。しかし学校側は「確認できない」などとして、調査結果も公表していなかった。

いじめの様子を担任教諭が目撃しながら、この教諭は「あまりやりすぎるなよ」とへらへら笑って声をかけるだけで何もしなかったことが指摘されている。担任は、自殺した生徒がいじめ被害を相談した際「どうでもいい」「君ががまんすれば丸く収まる」と発言して放置したとも指摘されている。

学校側は2012年7月、校内放送で藤本一夫校長が講話。その際「自殺の練習と報道されているのは嘘」「報道には嘘が含まれている」等と話し、マスコミ取材には答えないよう口止めを図っていたと、生徒からの証言で明らかになった。さらに学校側が遺族に対して事件への口止めを図る念書を書かせていたことも判明した。

加害者側の態度

加害者側は生徒の自殺直後「遺体の一部でも落ちてへんかな」などと現場を徘徊したり、同級生が「○○君が自殺したのはお前らのせいや」と問い詰めると「なんで俺らのせいなん。どうでもいいわ」と吐き捨てたりしたと指摘されている。

また加害者の保護者は、保護者会などで被害者の保護者や学校に対して威圧的な対応を取り、「自分の子どもがいじめの加害者扱いされて被害を受けている」かのように主張した。

加害者3人のうちA・Bの2人は事件からしばらくして京都方面に転校した。Bは転入先の京都府宇治市立中学校でも2012年6月、別の生徒への集団リンチ事件を起こし、2012年8月に家裁送致された。また皇子山中学校に残ったCは2012年5月、担任教諭に暴行を加え小指骨折や打撲などの怪我を負わせている。

大津市の対応

越直美大津市長は2012年7月10日夜に記者会見。遺族側との訴訟について、いじめと自殺との因果関係を認め遺族側の訴えを認める方向での方針転換を図り、訴訟を中断して事実関係の再調査をおこない、和解などの形も検討する方針を表明した。また第三者による調査委員会を立ち上げ、遺族側の意見も反映させる意向も示した。いじめ調査の内容が隠蔽されていたことについて、市長は7月9日になって初めて知り、調査内容を公表するよう澤村賢次教育長を3時間にわたって説得したという。なお、澤村教育長は2007-08年度に皇子山中学校校長を務めていた経歴を持つ(事件発生時の藤本一夫校長の2代前の校長)。

しかしその一方で大津市教委は2012年7月11日、市長発言について「市長の見解だ」と市長とは食い違う発言をおこない、「自殺との因果関係は不明」と従来の主張を撤回しない姿勢を示した。

遺族側は2012年7月11日にマスコミ取材に応じ、市の対応について「和解の具体的な内容は現時点では出ていない。市の真意を見極めたい」と話した。

澤村賢次教育長は2012年7月13日になり、いじめは自殺の要因の一つと言及するも、その一方で「家庭にも問題があるのではないか。裁判で明らかにする」と、まるで家庭に問題があるかのような中傷をおこなった。

越直美大津市長は遺族側に謝罪したいという意向を示した。しかし遺族側は市長との話し合いの場を設定すること自体は求めていたものの、謝罪については当初「何に対して謝罪したいのかはっきりしてほしい」と保留した。

大津市と被害者側の関係者は2012年7月25日に大津市役所内で会談した。越市長は調査が不十分だったことや、自身が2012年1月に当選して2月に訴訟になっているのに提訴時点で再調査を出来なかった遅れについて謝罪した。遺族側は、市長の態度は一定評価したものの、学校や市教委に対しては不信感をつのらせ、遺族側の意向を反映した第三者調査委員会の設置を求めた。

第三者委員会の設置

大津市は第三者委員会について、遺族側推薦の委員と市側推薦委員が同数(3人ずつ)になるよう調整して設置を決定した。遺族側推薦委員には、いじめ問題に詳しくテレビ出演などでも知られる教育評論家・尾木直樹氏が含まれている。2012年8月25日に第1回調査委員会が開催された。

第三者委員会は2013年1月31日、「いじめが自死につながる直接的要因になった」と明記した最終報告書を越直美市長に提出した。加害者のうち A・Bの2人から継続的に受けた行為19件をいじめと認定した。一方で加害者とされたCについては、クラスが違ったことなどをあげ、関与が少ないとしていじめとは認定しなかった。

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民事訴訟の進行

2012年7月17日に第2回口頭弁論が開かれ、大津市側の代理人は「現時点で市としていじめと自殺の因果関係を認める可能性は高い。和解協議をさせていただく意思がある」と主張を変更する陳述をおこなった。市側は、近く設置する外部調査委員会や警察の捜査結果が出るまで約4ヶ月間訴訟進行を中断してほしいと訴えたが、遺族側が難色を示し、市の主張と関わりない部分については通常通り進行することになった。

加害者側は3人とも、「遊びの延長線上でいじめではない」と主張した。

原告側と大津市については、2015年3月までに大津地裁が和解を勧告。大津市は和解を受け入れる方針を決め、2015年3月6日に大津市議会に和解関連議案を提出した。和解案は2015年3月13日の大津市議会で全会一致で採択され、同年3月17日に原告側との協議をおこなって正式に和解が成立した。

一方で加害者側は一貫していじめを認めておらず、加害者3人とその保護者に対して約3800万円の損害賠償を求める訴訟が続いた。2017年に断続的に加害者とその両親、担任教師などへの証人尋問がおこなわれたが、いずれも指摘された行為は認めながら「いじめではない」という見解を述べた。

大津地裁は2019年2月19日、「いじめが自殺の原因」だと認定し、また自殺の予見可能性も認定し、加害者3人のうち2人に対して計約3700万円の損害賠償を命じる判決を出した。一方でもう1人については、いじめへの関与度合いが低いとして、賠償責任を認めなかった。また保護者については、監督責任を認めなかった。

一審判決については、「これまでのいじめ自殺訴訟では、いじめと自殺との因果関係を認定せずに原告側敗訴となったケースが多かった。いじめと自殺との因果関係を明確に認定したことは、当該個別案件だけにとどまらず、いじめ訴訟全体にとって従来の判例から前進する画期的判決となった」と評価された。

原告側は控訴しなかった。しかし加害者とされた生徒のうち1人が2019年3月6日、一審判決を不服として大阪高裁に控訴した。またもう1人の生徒も2019年3月7日に控訴した。

加害者側は2019年8月23日の第1回口頭弁論で、いじめを認めず判決変更を求めた。控訴審は2019年10月30日の第2回口頭弁論で結審した。

大阪高裁は2020年2月27日、いじめの事実は引き続き認定しながらも、「自殺は自らの意思による」「両親側も家庭環境を整え、いじめを受けている子を精神的に支えることができなかった」などとして過失相殺を認め、賠償額を約10分の1の400万円に減額する判決を出した。

両親は二審判決を不服として、2020年3月12日付で最高裁に上告した。しかし最高裁は2021年1月21日付で上告を棄却、二審大阪高裁判決が確定した。

大津市のアンケート結果隠し

大津市は事件直後に同級生に実施した調査結果を、遺族側に隠していた。結果をまとめた一覧表を開示したものの「外部に漏らしてはいけない」とする同意書への署名を強要され、遺族側の独自調査を困難にさせたという。

また2011年12月には回答の原本の情報公開請求をおこなったものの、黒塗りの状態で開示された。

遺族側は2012年9月7日、アンケート結果を隠したことや同意書への署名を強要させられたのは違法として、大津市を提訴した。

警察の捜査

滋賀県警大津警察署は当初、生徒の家族からの被害届受理を3度にわたって拒否していた。いじめ隠蔽の事実が大きく報じられた2012年7月時点では、家族は4度目の被害届提出を検討していたという。

事件が大きく報道され、大津署の受理拒否も大きく批判されたことが背景にあるのか、滋賀県警は方針を転換、2012年7月11日付で20人体制の専従捜査班を設置した。

滋賀県警は2012年7月11日、大津市教育委員会事務局(市役所内)や皇子山中学校を暴行容疑で家宅捜索した。いじめ事件で学校や教育委員会事務局が家宅捜索を受けるのは異例であり、過去にはほとんど例がないとみられる。

家族は2012年7月18日、暴行・恐喝・脅迫・強要・窃盗・器物損壊の6容疑で、いじめ加害生徒3人を刑事告訴し、受理された。滋賀県警は 2012年12月27日、加害生徒3人のうち2人を暴行容疑で書類送検した。残る1人については事件当時13歳で刑事罰の対象にならないとして、暴行などの非行事実で児童相談所に通告した。

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