愛知県西尾市立東部中学校いじめ自殺事件

愛知県西尾市立東部中学校2年だった男子生徒が1994年、同級生4人からのいじめを訴える遺書を残して自殺した事件。その後の調査で、いじめに関与したのは計11人と判断された。

この事件を機に、いじめ問題が大きく社会問題化して取り上げられるようになった。

事件の経過

愛知県西尾市立東部中学校2年だった男子生徒は1994年11月27日、自宅の庭で首を吊って自殺した。

4日後の12月1日に生徒の遺書が見つかった。遺書は便せん4枚にわたっていた。4人からいじめを受けていたと訴え、「自殺理由は今日も、4万(円)とられたから」「今日は、2万円とられ、明日も4万円ようきゅうされました」「自分にははずかしくてできないことをやらされたときもあった。そして強せい的に、髪をそめられたことも」「川につれていかれて、何をするかと思ったら、いきなり、顔をドボン」など、恐喝や暴行を日常的に受けていたことが記されていた。

いじめは小学生の頃から始まり、中学校進学後に激化したという。加害者生徒がこの生徒に対して、矢作川に連れて行って無理やり顔を沈めて溺れさせるなどの暴行、計約110万円にわたって現金を恐喝する、カバンを隠す、通学用自転車を壊すなどのいじめ・暴力行為を繰り返しおこなっていた。

加害者グループは被害生徒から現金を恐喝し、また被害者宅で家族の金品を盗むなどした。被害生徒は散髪代を巻き上げられて自分で髪を切ったり、家族の財布から現金を抜き取るまで追い詰められたという。

また加害者グループは、この生徒に自転車窃盗・別の同級生の家に入っての盗みなどの行為を強要したり、ほかの生徒を殴るよう命じるなどしていた。また性的な行為を強要されたこともあったという。

家族は、自宅から現金がなくなったり、自転車が度々壊れているのを不審に思い、生徒に事情を聴いていた。

学校側の対応

被害生徒が中学校1年の頃、被害生徒の自転車が度々修理に出されるのを不審に思った自転車店の店主が、いじめの可能性を疑って学校に相談した。自転車店店主からの情報提供を受けた教員が被害生徒に事情を聴いたものの、そのときは生徒は「大丈夫」「自分で転んだ」などと話したという。家族が事情を聴いたときも同じような反応をしたとされる。

中学校2年に進級した際、女性教師が学級担任になった。この教師は前年度は小学校に勤務し1年担任を受け持っていたが、当該年度に理科教員として中学校に異動した。「小学校から異動したばかりでいきなり中学校2年の担任を持たされて慣れていない」「指導が幼稚っぽい」と見なされた担任教諭に対してクラスの生徒が反発し、学級崩壊状態になっていた。

進級直後の1994年4月、被害生徒が別の生徒に暴力を振るう事件が起きた。被害生徒は教員に対して「加害者グループから命令された」と訴えた。学校側が事情を聴いたものの、加害者グループは否定したとされる。

学校側は被害生徒の異変を察知し、カウンセリング受診などを勧めていたとされる。

1994年9月に自転車窃盗問題が明らかになった際、被害生徒は警察で「加害生徒から盗みを強要された」と訴えた。これを受けて父親は学校に対して、「息子は、自分で転んで自分の自転車を壊したといっているが、自転車の壊れはいじめでないか調べてほしい」と依頼した。しかし被害生徒は教員の聴き取りに対して「自分で転んだ」などと話したという。

また同時期には、被害生徒が下着姿にされている様子を養護教諭が目撃し、声をかけていた。さらに1994年10月には、ケガの治療で保健室に来室した被害生徒に対し、手当対象となったケガのほかにもアザがあったことに気づいた養護教諭が事情を聴こうとした。しかし被害生徒はいじめを訴えなかったとしている。

また被害生徒がプロレス技をかけられて泣いているという別の生徒からの情報を聞いた他学年担当の教員が駆けつけ、暴行の様子こそ直接目撃していないものの、この教員が加害生徒を注意したこともあったという。しかしこれらの事案はそれぞれ個別のものとして扱われ、学校として組織的な対応がおこなわれなかった。

学校では、校長・教頭・教務主任などからなる「いじめ対策委員会」が設置されていた。この生徒について、「自転車が頻繁に壊れていること」「下着姿になっていたこと」「アザ」の情報についても話題に上がっていた。しかし委員会では「本人がいじめを否定したから、いじめは認められない」という対応を取った。被害生徒について「いじめ加害グループの一員」とみていた委員会メンバーの教職員もいたという。

生徒の自殺後、一報を受けた学校側は、市教育委員会に「突然死」として報告した。全校集会では箝口令を敷いたとも指摘された。

また生徒の自殺の情報をつかんで取材に訪れたマスコミには「いじめの情報は出てこない」などと回答した。

遺書が発見されたことを受けて、1994年12月5日に校長が記者会見をおこなった。しかし校長は、「記憶にない」「報道陣のせいで寝不足」「私はパニックで大変」などと一方的な内容を話し、そのまま席を立った。回答内容に不満を持ち、もっと聞きたいと思った報道陣が校長を追いかけようとしたが、教職員が立ちふさがって阻止した。また校門前にいた報道陣には、見張り役の教員が「こら、ここに書いている『立ち入り禁止』の字が読めないのか!」「誰の許可を得た?」「ここを撮影するな」などと恫喝した。

その後の西尾市教育委員会の調査では、同級生11人がいじめに関与したと判断した。

愛知県教育委員会は1995年3月14日、校長を減給処分(10分の1・3ヶ月)とし、教頭を戒告処分とした。西尾市教育委員会は同日、担任・生徒指導主事・学年主任の教員3人と、市教委事務局職員2人(教育部長・学校教育課長)の計5人を文書訓告処分とした。西尾市教育長も減給処分を受け、市長も自身の給与を返上する条例案を提出した。

刑事処分

愛知県警は1995年2月、加害者とされた生徒11人のうち男子生徒4人について、恐喝容疑で書類送検した。また残る7人についても補導をおこなった。

1995年4月、書類送検された生徒3人を初等少年院送致・残る1人を救護院(現在の児童自立支援施設)送致の処分とした。

事件の影響

この事件をきっかけに、1994年末以降2~3年にわたり、いじめ問題が大きな社会問題としてマスコミで取り上げられるようになった。これは1986年に発生した「東京都中野富士見中学校いじめ自殺事件」以来のこととなる。

福岡県では、いじめの手段としてこの事件を引き合いに出して、被害生徒に「(この事件で自殺した生徒の名前)」とあだ名を付け「自殺するときは遺書を書くなよ」などとはやし立てるなどの行為をおこなった事件も発生した。この事件では1995年3月、被害者の父親が「いじめをやめさせる」として加害生徒に対して過度の行為をしたことが問題になった。

自殺した生徒が在籍していた中学校では、いじめを防ぐための有志の生徒組織が作られ、全校集会などを通じていじめ防止や事件風化防止などの活動に取り組んでいる。

当該校では1988年にも生徒自殺事件

当該校では、この生徒のいじめ自殺から6年前にあたる1988年12月にも、当時2年の男子生徒が自殺した事案が発生している。1988年に自殺した生徒の保護者は「思い出したくない」として多くを語らなかったということだが、当時のことを知る複数の生徒や保護者が「この生徒がいじめられていた」「いじめられていたという噂を聞いた」と話した。学校側は当時、いじめの噂や交友関係の悩みなどについても情報を得たものの、「調べたがわからなかった。原因不明」と判断していた。