鳥取県湯梨浜町(当時の東郷町)の小学校に勤務していた女性教諭が、少なくとも1997年~2004年の約7年間にわたり、「給食指導」と称して虐待行為を繰り返していた事件。
2004年に弁護士会に人権救済申立があり、2005年に弁護士会が「人権侵害」として警告をおこなった。教育委員会は2005年に当該教諭を懲戒処分。
事件の経過:教諭による人権侵害
鳥取県湯梨浜町立東郷小学校の女性教諭・I(2005年当時50歳)は、旧・東郷町立花見小学校(注)に赴任した1997年から2004年7月頃までの約7年にわたり、担任するクラスで、給食を食べるのが遅い児童に対して「食器を片付けるから、ハンカチかティッシュペーパーを出せ。なければ手を出せ」などと発言し、食べ物を手のひらに載せるなどして児童に食べさせた。ご飯と汁物やおかずを混ぜて児童の手に載せ、食べるよう強要したこともあった。
またIは、児童をほうきでたたいたり、給食の後かたづけの際に足で蹴りつけたりなどの「体罰」を加えていたともいう。
教諭の行為で不登校・PTSDに(2001年)
Iの行為が原因で一時不登校になり、その後もPTSDのような症状の残っている児童もいる。PTSDのような症状の残っている女子児童は1年生だった2001年1学期、当時の担任だったこの教諭・Iから、「給食を食べるのが遅かった」としてご飯と汁とおかずを混ぜたものを手のひらにのせて食べるよう命じられた。そのため、手のひらから汁がこぼれ落ちたが、Iは「(教室の床を)後からふけ」と冷たく言い放った。
入学したばかりのこの児童はこの事件に強いショックを受け、事件直後からしばらく不登校になり、5年生に進級した2005年時点でもPTSDとみられる反応が残っている。
保護者らが被害訴え、しかし学校は放置(2004年)
2004年5月には、Iが当時担任していた1年生のクラスの児童の保護者らが、素手で給食を食べさせられるなどの被害を学校に訴えた。少なくとも8人の児童が被害にあったという。
しかし学校側は「厳しい指導をしているだけ」として、Iへの指導や町教委への報告をしていなかった。また保護者は町教委や県教委にも掛け合ったが、町教委や県教委は事実関係に関する調査などには腰が重かったという。
町教委が初めて対応(2004年)
2004年9月に町教委は、「給食ではしを取り上げられ、素手で食べさせられた」などの保護者からの訴えに対して、学校に指導した。学校はIのクラスに補助教員をつけ、I1人で授業や指導にあたらないよう対処したという。
弁護士会へ申立(2004年11月)
2004年11月、保護者から鳥取県弁護士会に申立があり、鳥取県弁護士会はこの事件について事実関係を調査。弁護士会は調査の結果、人権侵害は事実と判断した。
鳥取県弁護士会は2005年8月5日、給食を手で食べさせたこと・「体罰」・児童の教科書を破るなどのIの問題行為計11件を重大な人権侵害として、I本人に対して警告書を送付。また、Iの行為を未然に防止できなかったとして、学校に警告書、湯梨浜町教委に要望書を出した。
弁護士会の警告書・要望書が出た後の対応(2005年)
湯梨浜町教育委員会は2005年8月16日付で、「人権救済の申し立てに対する町教育委員会の見解」を発表した。
湯梨浜町教委は調査の結果、I本人は警告書に書かれている内容を否定したものの、ほかの関係者への調査を総合すると、Iによる人権侵害があったことは事実だと判断した。また湯梨浜町教育委員会は、この問題を2004年9月に把握したにもかかわらず「児童への聴き取りや問題への具体的な調査を怠り、教員寄りの判断がなされ、本人への対応が甘くなったと考えられる」として、対応の不手際を認めた。
湯梨浜町教育委員会は2005年8月18日、「2004年9月に事実関係を把握した後も、十分な具体策をとらなかった」などとして、教育長を減給処分・教育総務課長を戒告処分・町教委職員4人を文書訓告処分にした。また、町教委の監督責任を問われ、湯梨浜町長と助役も減給処分になった。
鳥取県教育委員会は2005年9月6日、Iの行為を「教師の指示が絶対的な小学校低学年の段階において、教育の領域を逸脱した人権侵害」などと認定。「教育に対する信頼を失墜させた」などとして、この教諭・Iを停職6ヶ月の懲戒処分にした。また、2004年7月に今回の問題を把握しながら詳しい調査を怠ったとして、旧花見小学校の当時の校長(学校統合後に東郷小学校の校長に就任)も減給処分。
問題の教諭・Iは、停職処分を受けた直後に退職願を提出し、2005年9月7日付で依願退職した。