東京都東久留米市立中学校の女子生徒が1994年、授業中に教諭から矛盾した指示を受けたと指摘したところ、当該教諭が逆上して暴行した事件。教諭はその後も、担当の授業でこの生徒にだけ授業プリントを配らないなどの嫌がらせ。
これらの行為について被害者側が民事提訴し、「体罰」は一切許されないということを示した判例が出た。
事件の経過
東京都東久留米市立中央中学校で1994年11月14日午前9時頃、2年生のクラスで、学年担当でこのクラスの社会科の授業も担当していた男性教諭・Aが生徒6人に対して、前日におこなわれた文化発表会に関するアンケートを集計するように指示する発言をおこなった。
1人の女子生徒・Bさんが「以前に(A教諭自身が)『集計しなくてよい』と指示したはず。なぜ言うことが変わるのか」と指摘した。Aはこれに対して激高し、Bさんの座っていた机とそのすぐ後ろの机を蹴り飛ばした。さらにAは、Bさんを罵倒しながら平手打ちを数回加えた。BさんがAをにらみ返すと、Aはさらに「なんだ、その顔は」「お前らはクズだ」などと怒鳴りながらBさんを殴りつけ、髪の毛をつかんで引きずり回すなど暴行を繰り返した。
Bさんには特に治療を要するようなけがはなかったが、Aに髪の毛を引っ張られた際に髪の毛が数本抜けたという。
事件後の対応
Bさんの学級担任のC教諭は事件直後に暴行(「体罰」)を把握し、Aの暴行の事実は同日中にC教諭から校長や教頭に報告された。事件翌日の職員会議では、Aの「体罰」が議題になっていた。
数日後、Bさんの父親がAの暴行に抗議するために学校を訪問し、校長・教頭と面談した。その際に校長・教頭とも「『体罰』は一切知らなかった。初めて知った」と虚偽の回答をおこなった。また加害教師・A本人にも抗議したが、Aは暴行を一切謝罪しなかった上、逆にBさんを攻撃するような発言に終始した。
Aは事件後、自分の担当する社会科の授業でBさんを無視し、一人だけ意図的に指名しない・学習プリント配布を拒否するなどの行動をおこなった。またBさんは事件後、社会科担当教員の交代を強く求めたが、学校側は応じなかった。Bさんは事件後より学年末の1995年3月まで社会科の授業を拒否し、教室には座っているもののAを無視した。
Aは1995年4月、東久留米市内の別の中学校に転任した。
Bさんは1995年3月14日、Aを暴行罪で警視庁田無署に告訴した。Aは1995年12月26日、暴行罪で八王子簡易裁判所に略式起訴され、同日中に罰金10万円の略式命令を受けた。
Bさんの父親は東久留米市に情報公開請求をおこない、1996年3月16日付で事件報告書などが公開された。情報公開文書により、校長や教頭が事件直後には「体罰」を把握しながらもBさんの父親への説明の際に「初めて知った」などと虚偽説明をおこなっていたことが発覚した。
民事訴訟
Bさんと両親は1995年、A・校長・教頭・東久留米市・東京都を相手取り、(1)Aの暴行に対する損害賠償約500万円と、(2)Aが担当していたために受講できなかった分の社会科の授業を受けられるように学校側が配慮した上で、2年生2学期・3学期の社会科の成績を訂正すること、(3)謝罪文の校内掲示と全校生徒・保護者への配布を求め、東京地裁に提訴した。
東京地裁は1996年9月17日、原告の訴えを一部認め、Bさんへの50万円の損害賠償を東久留米市と東京都が連帯して支払うように命じた。判決では、Aの暴行を「体罰」と認定した上で「明らかに優位な立場にある教師による授業時間内の感情に任せた生徒に対する暴行であり、およそ教育というに値しない行為」と厳しく指摘した。その一方で社会科の補講受講および成績訂正、謝罪文掲示・配布の請求については棄却した。また両親からの損害賠償請求も棄却した。国家賠償法の規定を根拠に、A・校長・教頭個人への請求は棄却した。
その後判決が確定した。
東京地裁判決の意義
東京地裁判決では以下のように指摘し、「体罰」容認の風潮を厳しく批判している。
戦後五〇年を経過するというのに、学校教育の現場において体罰が根絶されていないばかりか、教育の手段として体罰を加えることが一概に悪いとはいえないとか、あるいは、体罰を加えるからにはよほどの事情があったはずだというような積極、消極の体罰擁護論が、いわば国民の「本音」として聞かれることは憂うべきことである。教師による体罰は、生徒・児童に恐怖心を与え、現に存在する問題を潜在化させて解決を困難にするとともに、これによって、わが国の将来を担うべき生徒・児童に対し、暴力によって問題解決を図ろうとする気質を植え付けることとなる。
この判決は、「体罰」は一切許されないということを示した判例として評価されている。また、水戸五中事件の刑事裁判・東京高裁判決(1981年4月1日)で示された「許される『体罰』がある。『強度のスキンシップ』(たたくことなど)は教育上の行為として許される」という判例を実質的に否定したものとしても評価されている。
被害者への嫌がらせによる二次被害
この事件では、被害者・Bさんや家族に対する悪質な嫌がらせ・中傷が発生したことが明らかになっている。
事件後、「Bさんはいじめ加害者グループに属していた」などと虚偽の内容でBさんを中傷し、加害教師・Aを全面擁護するような嘆願書が一部保護者によって製作され、東久留米市教育委員会に提出された。
また東京地裁での判決の直後には、Bさんの自宅に対して、頼んでもいない出前が大量に届けられる・Bさんと家族を罵倒する嫌がらせ電話や無言電話が分刻みでひっきりなしにかかってくるなどの嫌がらせが集中的におこなわれた。
Bさんとその家族は1997年3月3日付で、事件に関する「保護者説明会」で学校側を擁護してBさんを中傷する発言をおこない、また「Bさんがいじめグループに属している」などと虚偽の内容で教師を擁護する嘆願書を集めた保護者18人と、「保護者説明会」を主催した東久留米市および東京都を相手取り、約100万円の損害賠償と謝罪文の掲示を求め、東京地裁に提訴した。