京都市立洛陽工業高校バレーボール部顧問の男性教諭・S(当時52歳)が、過去に「体罰」で何度も京都市教育委員会から厳重注意処分を受けながらも、京都市教委が「部活動の指導力が優れている」として、指導力の卓越した教員「スーパーティーチャー」に認定していたことが、2007年9月に発覚した事案。
経過
当該教諭は京都市立中学校の保健体育科教諭を経て、バレーボール部の強化を図るために1993年に洛陽工業高校に保健体育科教諭として転任した。
京都市教育委員会が事実関係を確認した「体罰」事件だけでも、少なくとも1997年度から2001年度にかけて、保健体育の教科の授業や部活動指導などで、生徒を引きずり倒して殴りつける・パイプいすを生徒めがけて投げつけるなどの悪質な暴行を繰り返していた。京都市教委は、3度にわたってSに厳重注意処分をおこなっていた。
しかし京都市教委は当該教諭を、2005年度に「スーパーティーチャー」に認定した。
2006年11月の暴行事件
認定後の2006年11月、バレーボール部の合宿先の京都府福知山市内で、2年生の男子生徒3人を平手打ちする「体罰」を加えた。この「体罰」事件は2007年2月になり、学校や京都市教委が把握した。
Sは「体罰」発覚直後の2007年3月から「体調不良」を理由に病気休暇に入った。また京都市教委は、本人から事情を聞けないことを理由に、生徒にも「体罰」の事実関係を調査しなかった。
マスコミ報道で発覚
2007年9月、「体罰」事件の経過、およびSへの「スーパーティーチャー」認定の件がマスコミ報道された。
報道と前後して、Sは2007年9月20日付での退職届を出した。京都市教委は「退職すると調査できなくなる」として、退職届を受理して事実関係を調査する気はないという意向を示した。
しかし京都市教委はその直後「『体罰』の事実が確認された。たびたび注意を受けながらも『体罰』を繰り返した」として、2007年9月20日付でSを停職1ヶ月の懲戒処分にした。しかし京都市教委は、被害生徒への聞き取り調査なとは全くおこなわなかった。
懲戒処分の決定と同時にSの退職届は受理され、また「スーパーティーチャー」の認定も取り消された。
加害者は私立高校に転任、そこでも暴力行為
Sは2008年、大阪府岸和田市の私立飛翔館高校(2009年度より近畿大学泉州高校に校名変更)のバレーボール部監督に就任した。
しかし2010年9月には近大泉州高校で部員への暴力事件を起こし、学校側から処分を受けた。