大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校に2001年6月8日、宅間守(当時37歳)が侵入し、児童や教職員らを無差別殺傷した事件。児童8人が死亡し、児童13人と教諭2人が重軽傷を負った。このほか身体的な傷は負わなかったものの、PTSDなどの症状を発症した児童も多数いた。事件をきっかけに日本各地の学校で、学校の安全対策が大きく見直された。
事件経過
犯人・宅間守は同日午前、自動車で附属池田小学校の自動車専用門に乗り付け、空いていた同門から学校構内に侵入した。この際に教職員とすれ違っているが、教職員は保護者と思いこんで挨拶をし、不審者とは認識できなかった。
宅間は午前10時10分過ぎから約10分間にわたり、児童を次々に襲撃した。宅間は同校教諭らによって取り押さえられ、午前10時20分頃に警察に引き渡された。
教諭らは警察への通報や犯人の取り押さえなどを個別におこなおうとしたが、結果的に学校全体が混乱状態に陥り、児童への避難誘導や事件全容の把握、保護者への連絡などが十分にできなかった形になった。
宅間は殺人罪などで起訴された。宅間は公判で、遺族感情を逆撫でするような暴言を繰り返したという。2003年8月28日に大阪地方裁判所にて死刑判決が下り、弁護団が控訴するも、宅間自らが控訴を取り下げて死刑判決が確定した。
2004年9月14日に大阪拘置所にて、宅間の死刑が執行された。
事件の影響
附属池田小学校は事件後約2ヶ月半にわたって臨時休校した。その後、同年8月27日に大阪教育大学旧池田分校跡地(池田市)に仮校舎を設置して授業を再開した。事件のあった校舎は全面改築され、事件から2年10ヶ月後の2004年4月に元の敷地に復帰している。
同校では事件風化を防ぐため、殺害された8人の児童の名前が刻まれた「祈りと誓いの塔」を2004年に設置し、同年以降毎年6月8日に追悼行事を行っている。また同校では、事件以降学校安全の研究に力を入れるようになった。
学校設置母体の大阪教育大学でも、教員養成系大学であること・附属学校で発生した事件であることなどから、この事件以降学校安全の教育研究に力を入れるようになっている。
全国的にも事件以降、登下校時以外は校門の門扉を施錠する・部外者の学校構内の立ち入りには厳しくチェックをおこなう・学校警備員を配置するなど、外部の侵入者や不審者への対策を前提とした学校安全対策が一般的になった。