駒大苫小牧高校野球部「体罰」事件

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北海道苫小牧市の私立駒澤大学附属苫小牧高校の野球部で2005年、野球部長の教諭が同じ部員に対して2度にわたって「体罰」・暴力行為を加えた事件。うち1度の「体罰」は、当時出場中の全国高校野球選手権大会の宿舎でおこなわれた。

駒大苫小牧高校は同年の甲子園大会で南北海道代表として出場し優勝したが、優勝直後に事件が報じられ、大きな問題となった。

事件の経過

野球部長は少なくとも2005年6月と8月に「体罰」を加えたと指摘された。

野球部長は2005年6月2日朝の練習中に、3年生の部員が練習でミスをしたことに立腹して、この部員を殴った。

生徒の保護者はこの暴行について、「拳で顔を30~40発殴られたり、バットで小突かれたり蹴られたりするなどした。暴力の影響で、あごのかみ合わせが悪くなった」と話しているという。部員は8月下旬までに「外傷性顎関節症」と診断された。一部報道によると、部長は暴行の際「(暴力が世間に知られると、被害部員が)苫小牧の街を歩けなくしてやる」などと、部員に対して暴言を吐いたともされている。

第87回全国高校野球選手権大会期間中の2005年8月7日には、大会出場のために宿泊していた宿泊先の大阪府池田市の宿舎で、「夏バテ防止のためにご飯を茶碗3杯食べる決まりになっているのに、この部員が2杯しか食べなかった。そのことについて部員本人に聞いたがごまかされた」と思いこんで、同じ部員を別室に呼び出し、自分のスリッパで頭を殴った。

野球部監督は、部長の暴力の際には2度とも現場にはいなかったが、暴力事件の事実は把握していたという。

2度目の暴力事件の直後に2005年8月8日に生徒の保護者から、学校側に暴力の事実について連絡があり、翌9日には校長や教頭が暴力の事実を把握した。しかし学校幹部らは、大会日程が粛々と進んでいたことなどを理由に、大会後に事件を処理するとして、高野連への速やかな報告を怠っていた。

暴力の事実を公表

甲子園大会で優勝し、ナインが北海道に帰ってきた後の2005年8月22日夜、学校側は会見を開いて、野球部長の暴力の事実を明らかにした。学校側は、野球部長を同日から謹慎処分にした。部長は学校側の聴取に「申し訳ない。体罰的暴力をおかした」と話したという。

問題の部長は2001年に同校に事務職員として採用され、野球部副部長に就任。2005年度に同校教諭となり、野球部長に昇任したという。

事件を調査

6月の事件での野球部長の暴力の詳細について、学校側の発表と被害者側の主張が大きく異なっていることから、学校側は2005年8月23日、被害生徒に対して暴力の事実関係について事情を聴いた。学校側は「平手で3~4発殴った」と発表したが、被害生徒は「少なくとも20発以上は殴られた」と証言したという。また学校側は2005年8月24日、弁護士・生徒指導部長(教員)・PTA会長の3人を構成員とする調査委員会を設置した。

2005年8月24日、学校側が記者会見をおこなった。8月22日の第一報で学校側が発表した「6月の暴行は平手で3~4発殴った」という内容を訂正し、野球部長が「10発以上殴った」と説明を変えていることを明らかにした。また、この学校の教頭が、被害にあった部員に対し、「殴られた回数を3~4発にすれば、秋の大会に出られるかもしれない」と、圧力ともとれる発言をおこなっていたことも明らかになった。

駒大苫小牧高校と学校法人駒澤大学は2005年8月31日、関係教職員の処分を発表した。暴力を加えた野球部長は、譴責と部長職から解任の上、20日間の出勤停止処分。校長についても、譴責の上20日間の出勤停止処分にした。また、野球部監督についても、譴責の上減給処分。副校長・教頭らも譴責処分。

事件の影響

駒大苫小牧高校はこの事件の影響で、北海道内の2カ所で予定していた、第87回全国高校野球選手権大会の優勝報告会を中止した。また同校は2005年8月23日に全校集会を開いて、暴力事件の経緯を生徒に説明したという。

高野連の対応

2005年8月27日、校長や監督らが高野連本部(大阪市)に出向き、調査報告書を高野連に提出した。

高野連側は学校側から詳細な事情聴取をおこなった後、同日に審議委員会を開催した。審議委員会では、部長を一定期間の謹慎とし、同校野球部を警告相当とする処分案を日本学生野球協会に上申することを決めた。審議委員会に引き続いて開かれた選手権大会の臨時運営委員会は、「指導者の行為の責任を選手に負わせるのは適当でない」として、同校の優勝を取り消さないことを決めた。

日本高野連は2005年8月27日、「暴力のない高校野球を目指して」 と題する脇村春夫・日本高野連会長名の緊急通達を発表。通達では、「体育会系の部活動では多少の暴力は許されるとか、以前からあった、などというのは誤った考えであり、長い間引きずってきたこうした暴力を許す体質を指導者がどう断ち切っていくかが厳しく問われています」と明記して、指導者による暴力は誤りだと指摘した上で、いじめ行為など生徒間の暴力も含めたすべての暴力を高校野球から一掃することを強く呼びかけた。

日本学生野球協会は2005年9月28日に審査室会議を開き、部長を1年間の謹慎処分にし、野球部を警告処分にした。

被害生徒への二次被害

被害生徒の父親によると、暴力事件発覚後、被害生徒が野球部員仲間から「同じグラウンドで一緒にもう野球はやりたくない」「荷物をまとめて、野球部の寮から出ていってほしい」と心ないことを言われたり、被害生徒の携帯電話に中傷の電話・メールが多く入るなど、周囲から被害生徒への嫌がらせが続いたという。

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