埼玉県大宮市(現・さいたま市北区)の大宮市立宮原中学校で1984年、当時2年の男子生徒が顧問教諭から暴行を受けた事件。生徒は暴行の影響で後遺症が残り欠席がちになったが、調査書(内申書)には虚偽の欠席理由が記され、受験したすべての高校に不合格になった。
経過
大宮市立宮原中学校で1984年10月19日、バレーボール部員だった当時2年生の男子生徒は、「試合の結果が思わしくなかった」として顧問教諭から殴られた。その際にコンクリート壁に頭を打ち付け、頸椎捻挫などと診断されて後遺症が残った。
男子生徒は事件後、後遺症のために欠席がちになったという。
生徒は1986年3月に中学校を卒業し、1986年度に高校を受験したが、受験したすべての高校に不合格となった。不審に思った母親が調査をおこない、調査書(内申書)の欠席欄に「登校拒否・情緒不安定」と事実に反する欠席理由が記載されていたことが明らかになった。
母親は埼玉県に対して、中学校から受験先の高校に提出された内申書の開示請求をおこなった。しかし県は応じず、1989年5月24日付で非開示の措置とした。
民事訴訟
生徒側は教諭の暴行や内申書虚偽記載問題について、大宮市を相手取り浦和地裁(現・さいたま地裁)に提訴した。一方で「裁判の早期決着を図るため、暴行問題に論点を絞ることにした」として、内申書虚偽記載問題についての部分はのちに取り下げている。
浦和地裁は1993年11月24日、暴行と後遺症との因果関係や学校の不適切対応などを認め、大宮市に約180万円の支払いを命じる判決を下した。判決では教諭の行為について「体罰」という言葉は使わずに一貫して「暴行」「殴打」という表現を使用し、教諭の行為について教育的配慮があったとは認めなかった。
刑事告発
また生徒の母親は1993年12月、内申書虚偽記載問題について、当時の校長と教頭を有印虚偽公文書作成・同行使容疑で浦和地検に告発した。また支援者ら約30人が呼応する形で、同趣旨の告発を1994年1月までに浦和地検におこなった。
浦和地検は1994年2月8日、校長を嫌疑不十分で不起訴処分にした。また教頭については有印虚偽公文書作成・同行使が成立すると判断しながら「当該者は1994年2月時点では埼玉県北本市内の学校長として勤務しているが、北本市教育委員会が当該者を口頭注意処分にした」などとして起訴猶予処分にした。
母親は1994年2月9日、浦和検察審査会に不服申立をした。しかし検察審査会は1994年2月15日付で不起訴相当の議決を出した。