北九州市立青葉小学校「体罰」自殺事件

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福岡県北九州市若松区の北九州市立青葉小学校5年の男子児童が2006年3月、担任の女性教諭から「体罰」や暴言を受けた直後に自殺した事件。民事訴訟になったが和解が成立した。

事件の経過

同校の5年生は2006年3月16日午後、翌日の卒業式に向けて準備や清掃などの作業をおこなっていた。その際、男子児童・Aくんが別の女子児童にぶつかるトラブルがあった。Aくんはぶつかった女子児童に謝り、その場は収まった。

しかし担任の女性教諭(当時50歳)は同日午後3時頃、事実確認もせずにいきなりAくんの服の襟をつかんで揺さぶり、床に押し倒すなどの暴力を加えた。

その直後、Aくんは教室から飛び出した。Aくんはその後一度教室に戻ったが、担任教諭はさらに追い打ちをかけるように「何で戻って来たんね」と暴言を吐いた。暴言を聞いたAくんは荷物をまとめて教室から再び飛び出した。

同日午後4時過ぎ、Aくんが自宅で首をつっているのを家族が発見した。家族が119番通報し、Aくんは病院に搬送されたが死亡した。遺書はなかったという。

Aくんは生前「担任教諭が嫌い。学校に行きたくない」「先生は自分の気持ちを分かってくれない」「持ち上がりの6年生になっても、この教諭が担任なのはいやだ」などともらし、また学校から泣きながら帰宅したこともあったという。Aくんの様子を心配した家族は学校側に相談していた。またAくんの死後、家族が遺品を整理していた際、Aくんが使っていた漢字練習帳に、担任教諭を名指しして「死ね」などと走り書きがされていたのが見つかったという。

一方で、学校や北九州市教委は「『体罰』はなかったと認識している。注意と自殺との因果関係は不明」とした。また北九州市教委は、教諭の暴行について、ほかの児童に「しゃべるな」と強要するなどの隠蔽工作をおこなった。市教委は、事件直後におこなった調査の開示も拒否した上、調査内容も破棄した。

担任教諭は事件直後の2006年3月末に依願退職した。

民事訴訟

遺族は2007年3月、「担任教諭からの継続的・執拗な暴行が自殺の原因」として、北九州市を相手取り、福岡地裁小倉支部に訴訟を起こした。しかし北九州市は、担任教諭の暴行すら認めずに事実関係を争う姿勢を示した。

Aくんの両親は同級生のところを訪問して目撃証言を集め、証拠として提出した。Aくんの母親は事件後体調を崩してガンと診断されたが、病身を押して証言集めに奔走したという。児童の証言が法廷に提出されたことに対して北九州市は「自殺から時間が経ち、子どもは大人の質問の仕方の影響を受ける」などと証言の信用性を否定した。

死亡見舞金問題

事件後遺族は、学校管理下の事故に関する災害共済給付業務をおこなっている独立行政法人・日本スポーツ振興センターに対し、「自殺は『体罰』が原因。『体罰』は違法な懲戒権の行使で学校管理下の事故」として死亡見舞金を申請した。しかしセンターは見舞金支払いを保留したため、遺族が2008年7月、同センターを相手取り死亡見舞金を支給するよう求める訴訟を福岡地裁小倉支部に起こした。

しかしセンター側は2008年9月4日におこなわれた第1回口頭弁論で、「担任教諭の行為は正当な指導で『体罰』ではない」などとした北九州市からの報告を根拠に、「現時点では支給の根拠はない」と主張、請求棄却を求めた。

遺族から北九州市に損害賠償を求めた訴訟と、死亡見舞金関連の訴訟は併合審理されることになった。

地裁判決

2008年10月8日に福岡地裁小倉支部でおこなわれた口頭弁論に、当時の担任教諭が出廷した。元教諭は、Aくんを殴ったことについて「『体罰』だったと思う」、自分の指導が「自殺の原因の一つになったと思う」などと、暴行の事実関係・および暴行と自殺との因果関係を一部認める発言をおこなった。

福岡地裁小倉支部は2009年10月1日、担任教諭の「体罰」の事実、および「体罰」と自殺との因果関係を認め、北九州市に約880万円の損害賠償を命じる判決を下した。その一方でAくんが「衝動的な衝動をとりやすい性格だった」として賠償額は減額している。また日本スポーツ振興センターに対し、見舞金約2800万円を支給するよう命じる判決も同時に出した。

北九州市などが控訴

しかし北九州市は2009年10月15日、判決を不服として福岡高裁に控訴した。また日本スポーツ振興センターも2009年10月19日、「担任の『体罰』と自殺の因果関係が認定される前の段階で支払いは無理。判決を認めれば、今後の給付事務に重大な影響を与える」などとして福岡高裁に控訴した。

控訴審の第1回口頭弁論は2010年1月20日におこなわれ、即日結審した。結審後裁判所側は和解を勧告し、和解が成立しなければ2010年3月18日に判決を言い渡す予定とした。

2010年2月10日に和解協議がおこなわれた。Aくんの母親が当時末期ガンで余命数ヶ月と診断されていたという背景を踏まえ、遺族は「母親の存命中に和解を成立させたい」という意向で、「市への責任追及などは放棄するので、同級生が証言した『体罰』の事実だけでも認めてほしい」と大幅に譲歩したという。

しかし北九州市は「和解の席には着く」という姿勢は示したものの、教諭の行為を「体罰」とは認めないという姿勢を崩さなかったため和解は決裂した。日本スポーツ振興センターは和解を拒否した。

母親が死去、和解へ

控訴審判決を目前とした2010年3月16日、Aくんの母親はガンで死去した。折しも母親が死去した3月16日は事件発生から4年目の日・被害児童の4度目の命日でもあり、前日から危篤状態になっていた母親は日付が変わるのを待つかのように息を引き取ったという。遺族によると、母親の最期の言葉は「(Aくんの)お墓参りをしたい。家に帰らせて」だった。

訴訟は続くことになり、遺族側は「母親の存命中に和解を成立させたいという理由がなくなった以上、控訴審でも事実関係の徹底解明を求めていく」という方針を示した。

一方で母親の死去後、北九州市は態度を軟化させたという。

2010年5月21日に遺族側と被告側との訴訟進行協議が福岡高裁でおこなわれ、災害共済給付金2800万円を遺族側に支払う内容での和解が成立した。北九州市は、学校内での一連の対応は適切さを欠いていたとして、自殺を防止できなかった責任を認め再発防止策をとるとした。一方で事件については「体罰」とははっきりと認めず、和解条項には「体罰」の文字はないという。

遺族側は和解内容には100%納得していないとする一方で、訴訟による負担を考え、和解に応じることにしたという。

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