大阪市淀川区で「塚本幼稚園」を経営する学校法人森友学園が系列の私立小学校の新設を構想したことに関連して、明らかになった諸問題。
概要
問題は大きく分けて、以下の3つの分野に広がっている。これらの事象は全く別個に起きたものではなく、相互に密接な関係を持ちながら発生したとみられている。
- 学園での「教育勅語」礼賛などの不適切な教育、園児への虐待まがいの行為、保護者への暴言や不適切対応、補助金をめぐる不正など、不適切な教育・経営方針。
- 小学校設置構想の際、本来ならば経営的に厳しい、教育方針などにも疑問、校地も確保できていないので認可要件を満たさないとされていたものを、学園の教育方針を支持する維新が府政与党になっている大阪府が、事務方主導で「学校設置認可適当」の答申を出したこと。
- 大阪府の学校設置認可を前提として、大阪府豊中市内の国有地を不当に安い価格で森友学園に払い下げた問題。さらに、疑惑発覚後に国の決裁文書を改ざんして公表した問題。
事件の背景には、安倍晋三首相・首相夫人の安倍昭恵氏へとつながる国ルート、また橋下徹・松井一郎の2代の大阪府知事につながる大阪府および府政与党の大阪維新の会ルートとの関連が指摘されている。
日本会議・日本教育再生機構の復古的な教育思想に基づく教育勅語体制の礼賛、教育の公的役割を低く扱い「民間でできることは民間で」という事を極限まで進めて公教育も縮小して民間事業者に売り渡すネオリベ的な「規制緩和」、安倍首相が改憲や安保法など政権運営の目的で維新の頭数を利用しようとしていたことなどによって、安倍首相サイドと橋下・松井・大阪維新サイドがつながり、政府と大阪府を巻き込んだと指摘されている。
時系列的には、「学園の教育」→「維新が学園の教育方針を礼賛し便宜を図る」→「土地問題」の順番で発生した。
一方で発覚し報道されたのは、2017年2月の「土地問題」が発端で、それに伴って「学園に便宜を図った、大阪府の学校設置認可の不審さ」との関連性が指摘され、さらにそれらの状況を結びつける背景として「維新や安倍首相に近い勢力が、学園の教育方針を強く礼賛していたこと」が指摘された。
国政問題であると同時に、維新政治の元で起きた大阪府政の問題ともなっている。
学園の教育方針
森友学園は1950年、現在の大阪市淀川区に塚本幼稚園が開園したことに始まる。日本初の学校法人立の幼稚園ともいわれている。1982年には大阪市住之江区・南港ポートタウンに系列幼稚園「南港さくら幼稚園」を開園した。
1995年1月に創設者の先代理事長が死去。先代の娘婿にあたる籠池泰典氏が理事長となり、経営を引き継いだ。籠池氏が経営を引き継いでから、教育勅語暗唱などの教育方針を取り入れるなど、教育方針の右傾化が進んだ。
2006年には「共同通信」から、塚本幼稚園と南港さくら幼稚園の名前を出して「教育勅語を暗唱させている幼稚園がある」と指摘する記事が全国に配信されたことがある。
また森友学園では、教育勅語の暗唱のほか、系列幼稚園・保育所も含めて、「児童の遠足の弁当を捨てる」「犬を飼っている児童を犬臭いといじめる」など、虐待同然の不適切な教育・保育方針も指摘された。
塚本幼稚園や南港さくら幼稚園の副園長・系列保育所「高等森友学園保育園」の園長を兼務していた籠池諄子氏(籠池泰典理事長の妻)が、自身と対立した保護者を恫喝するような手紙を執拗に送りつけるなどの行為もあったという。
南港さくら幼稚園では2010年頃、籠池諄子氏が、「園の前を通行していた小学生に声をかけたが挨拶を返さなかった」としてその小学生に暴行を加える事件が発生している。南港さくら幼稚園は2012年度に「開成幼稚園幼児教育学園」と改称したのち、2014年度より休園状態になっている。
塚本幼稚園・南港さくら幼稚園、系列保育所では、年度途中で退園・転園を希望した園児の保護者に対して必要な書類を発行しないことや、大阪府や大阪市からの補助金を不正受給した疑惑も指摘された。
不正受給疑惑については、障がいやアレルギーなど支援を必要とする要支援児の受け入れ人数に応じて、必要な人件費や設備などの経費を補助する補助金を不正受給していたと指摘された。塚本幼稚園や系列の保育園では、要支援児の受け入れ人数は府内の他の園よりも突出して多かった。しかし障がい児などには必要な人員配置などはされず、「障がい児は受け入れられない」と退園を迫られた事例や、申請に必要な保護者提出書類・医師の診断書などを捏造していた疑惑も指摘された。
また実際は兼任にもかからず、専任の教職員として届け出、専任教職員の人数に応じて支給される補助金を水増し受給していた疑惑も指摘された。
なお、2017年2月の一連の問題発覚を受け、森友学園・塚本幼稚園は2017年4月より新体制に移行し、再出発を図った。しかし財政状況の悪化から、塚本幼稚園は2021年3月に休園となり、建物は2021年秋に解体された。
系列保育所「高等森友学園保育園」は、必要な保育士の数が確保されていないなどとして、2017年6月末に事業停止命令を受け、閉鎖状態となった。その後2017年12月末に事業認可取り消しとなっている。
学園と政治家とのつながり:小学校設置構想の具体化へ
転機は2006年末。第一次安倍政権のもとで改悪教育基本法が施行された。先代の時代から「ゆくゆくは小学校も作りたい」と構想していたことを背景に、籠池氏は「愛国心を重視する教育基本法ができたことは、小学校設置のチャンス」ととらえ、小学校設置を具体化させることを決意した。
籠池氏は極右的な政治家に接近した。塚本幼稚園では、平沼赳夫衆議院議員や鴻池祥肇参議院議員など右派政治家の講演もおこなわれた。
鴻池議員の講演は、「教育再生百人の会」の主催としておこなわれた。同会は辻淳子大阪市議(大阪維新の会)が会長を務め、在特会にも関与したレイシスト「マスキクン」こと増木重夫が事務局長を務めていた。同講演会では、単に会場を貸し出しただけの関係にとどまらず、塚本幼稚園保護者や神谷宗幣吹田市議(のち参議院議員・参政党副代表兼事務局長)をパネリストにしたシンポジウムや籠池理事長の挨拶もあった。
小学校設置構想の具体化には、学園所在地の淀川区選出の自民党府議だった畠成章氏(故人)などの力添えをえたとしている。畠氏は2010年の大阪維新の会結成には参加せずに自民党にとどまっていたものの、2011年の大阪府議選に不出馬で引退した。引退の際には引退表明をギリギリまで伸ばして自民党の後継候補擁立をできなくさせたことや、維新候補(横山英幸氏。大阪府議を務めたのち大阪市長)を事実上の後継者として一緒に挨拶回りしていたことなどが指摘されている。籠池氏と畠氏は2011年11月の大阪府知事選挙・大阪市長選挙の際、松井一郎知事候補・橋下徹大阪市長候補の商店街での練り歩き(桃太郎宣伝)に運動員として参加していたことが、テレビニュースの映像で指摘された。
2011年夏頃、籠池氏は大阪府の私学・大学課に対し、小学校の新規参入を考えていると話し、当時の学園の状況では学校設置基準を満たさないので参入は困難として規制緩和を求めた。橋下徹大阪府知事は「規制緩和」として基準見直しを指示し、松井一郎知事に交代した後の2012年4月に、森友学園が新規参入できるように緩和された新しい学校設置基準を策定した。
また森友学園が新しく設置を計画した小学校の名誉校長には、安倍晋三首相の妻・安倍昭恵氏が就任した。
学園の教育方針を礼賛していた維新
府政与党の大阪維新の会は、森友学園の教育方針を礼賛した。
当初は維新に属していたが、のちに維新と袂を分かった上西小百合元衆議院議員によると、「維新在籍時代、維新の上層部から、森友学園の視察をして教育方針を宣伝するように指示された」という。
また塚本幼稚園前の公園を幼稚園が運動場代わりに日常的に使用しているとして周辺住民から苦情が出て、苦情を背景に大阪市が植樹などの措置をとるとした問題があった。大阪市は公園工事の予告をしたが、学園側が工事に反対意見を述べた。大阪市の公園担当者が塚本幼稚園に出向いて説明した際、大阪維新の会の村上栄二大阪市議(のち広島県議)・市位謙太大阪市議が途中から学園側に同席し、村上氏は学園側の主張を代弁する形で、公園担当者を恫喝するような対応をとった。しかも村上氏は、恫喝行為を自ら自慢げにブログで書き批判を浴びた。
転機となったといわれる2012年2月26日のシンポジウム
2012年2月26日、日本教育再生機構大阪の主催で、大阪市内で教育問題のシンポジウムがおこなわれた。遠藤敬衆議院議員(維新)が司会を務め、パネリストは松井一郎大阪府知事と、当時1期目の首相を退任して一衆議院議員となっていた安倍晋三氏がつとめた。松井氏と安倍氏は「教育再生」、すなわち極右的な教育の推進で意気投合した。
大阪府私学審議会
籠池氏は2012年以降、小学校設置に向けた準備を具体化させた。2014年10月に学校設置認可申請が出され、2014年12月の私学審議会で認可の可否が審議された。しかしこの審議会では「継続審議」となった。
継続審議が決まった直後の2014年12月頃、籠池氏は旧知の松浦正人・山口県防府市長に相談し、松浦氏の知人である中川隆弘大阪府議(維新・豊中市選出)を紹介されて面会した。籠池氏と中川氏は、それまでは面識がなかった。
松浦氏は「教育再生首長会議」の会長を務め、安倍晋三首相や日本教育再生機構にも近いとされている。
2015年1月の私学審議会では、校地予定地の土地が国有地を借地する予定にしている、国と正式契約を結んでいないであることなどの疑問が指摘された。また教育方針や財務状況についても疑問が出された。しかし大阪府は「国と確実に借地契約を結べる保障がある」などと説明、条件付き認可適当答申に持ち込んだ。
国有地問題
森友学園が新設小学校の予定地としたのは、大阪府豊中市の国有地だった。
当該土地周辺は歴史的には1960年代頃までは農地や沼地で、その後住宅密集地になっていることが、国土地理院発行の地図から読み取れる。
1970年代以降、大阪国際空港(伊丹空港)の着陸経路の真下付近にあたるこの界隈では、騒音対策として当時の運輸省が民有地を買い上げて補償する施策をとっていた。
個別に買い上げて虫食い状になっていた土地を、1990年代の豊中市の土地区画整理事業によって換地処分で1ヶ所の広大な土地にまとめた。
一方で航空機の性能改善により、騒音補償などの対策で買い上げた土地が不要となり、国土交通省大阪航空局や財務省近畿財務局は土地の処分を検討していた。
豊中市は区画整理事業の中で、国有地を買い取って防災公園として整備したいという構想を持っていた。しかし国から提示された額が高すぎて、国有地の半分しか購入できなかった。当時豊中市が購入できなかった部分が、のちに森友学園問題の舞台になる土地となる。
豊中市が購入を断念したのち、近隣にある大阪音楽大学が学園の拡張用地として購入したいとする申し出をおこなった。しかし大阪音大と国との交渉では、国は土地の価格について「7億円程度になる」として、音大側は資金不足で断念した。
一方で2015年頃、「小学校建設予定」とする看板が現地に出た。「以前に豊中市が購入を断念した国有地なのに?」などと不思議に思った地元の市議や市民が調べたところ、この土地の売買額が「非公開」になっていたことに気づいた。
国有地の売買額は原則公開となっているが、同時期の取引のうち非公開だったのはこの1ヶ所だけだった。市民らは開示請求をおこなったが拒否された。2017年2月、開示を求める訴訟を起こした。
開示訴訟と前後して、朝日新聞が2017年2月、「自分たちも開示請求したが拒否された。しかし周辺取材によると、売買額は1億3000万円前後と推定され、相場よりも大幅に安い」とする記事を出した。朝日新聞の記事により、森友学園問題が大きく動き出すことになった。
国はのちに、売買額は1億3000万円と認めた。根拠については「敷地内からゴミが出てきたので、ゴミ除去費用相当額8億円を差し引いた」としている。しかしゴミの撤去費用は8億円もかからない、過大に見積もられている、値引きありきで額を決めたのではないかという疑惑が浮上している。