長崎県立壱岐高校で1992年、教師から「体罰」を受けた生徒が8日後に死亡した事件。保護者側は「体罰」・暴力と死亡との因果関係を疑い刑事告訴し、また民事訴訟を起こした。
刑事事件、民事訴訟ともに、暴行・「体罰」と死亡との因果関係は認めなかったものの、教諭が生徒に「体罰」を加えた行為は違法だと認定された。
事件概要
長崎県壱岐郡郷ノ浦町(壱岐島、現・壱岐市)の長崎県立壱岐高校で1992年6月、校内のセミナーハウスで宿泊学習がおこなわれた。
参加していた1年生の男子生徒は1992年6月19日未明、「深夜に女子生徒の部屋にいた」として担任教諭(37)から1発殴られた。その直後にも、副担任の教諭(50)から十数発殴られた。教諭らの暴行で、生徒は奥歯を2本折るなどのけがを負った。
生徒は事件翌日に病院でけがの治療を受け、直後の数日は通常通り生活していたが、事件から8日後に体調が急変して急性心不全で死亡した。
学校側の対応
学校側は事件直後に「体罰」を把握しながら、教育災害給付金申請の際「『体罰』では給付金申請が下りないのではないか」として、校長が教頭に対して、生徒のけがの理由を申請資料に記入する際「転倒してけがをした事故」と虚偽を書かせるよう指示した。
指示を受けた教頭は、暴行加害者でもある担任教諭に同趣旨を指示し、担任教諭は生徒に対して虚偽の内容を申請資料に書くよう強要した。生徒の急死後、「体罰」の事実を知って生徒の死因を不審に思った保護者が、書類を返すように求めて自宅に持ち帰ったため、虚偽理由での申請は未遂に終わったという。
学校側は、死亡した生徒に対して教諭らの暴行があったことは認めたが、死因については因果関係はないと主張したという。
保護者側の対応
生徒の保護者は事件の事実関係や学校側の対応を不審に思い、1992年7月に長崎地方法務局壱岐支局人権擁護委員会に人権救済の申立をおこなった。
また「生徒が死亡したのは、教師からの暴行が原因」として、1992年9月には加害教諭2人を傷害致死容疑で刑事告訴し、1992年12月には長崎地裁に民事訴訟を提訴した。
刑事訴訟
長崎県警壱岐署は1993年1月までに、「教諭らによる暴行と傷害の事実は認められた。しかしその一方で、死亡した生徒への鑑定では『体罰』と死亡との因果関係はないと判断した」として、暴行を加えた担任教諭と副担任教諭の2人を傷害致死容疑で書類送検した。
暴行と死亡との因果関係を認めていないにもかかわらず「傷害致死」容疑での書類送検となったことについては、「告訴状に記載された罪名で送検するのが通例。傷害致死容疑で告訴状を受理しているため、形式的に傷害致死容疑での書類送検となった。警察には刑事処分の権限はないので、実際の刑事処分の判断については検察にゆだねる」という手続きに基づくものである。
長崎地検佐世保支部は1993年3月までに、副担任の教諭を暴行罪で起訴した。一方で担任教諭については、「1回しか殴っていない」などとして嫌疑不十分で不起訴処分となった。検察も「暴行と死亡との因果関係は認められない」と判断した。
副担任は1993年6月15日、長崎地裁で罰金15万円の有罪判決を受け確定した。長崎県教育委員会は有罪判決を受けて同日付で、この副担任を減給処分とした。
民事訴訟
民事訴訟では、長崎地裁は1995年10月17日、長崎県に慰謝料など約90万円の支払いを命じる判決を出した。
長崎地裁判決では、生徒の死因を「持病の発作」と認定し、暴行が直接的な死因になったわけではないと判断した。生徒の持病の発作と暴行との因果関係については、「暴行が発作を誘発した可能性も否定できないが、因果関係があるとの確信も持てない」として判断を保留した。一方で教諭らの暴行については、「違法な『体罰』」と認定した。
判決を受けて原告・被告双方とも控訴せず、一審長崎地裁判決が確定した。