いわゆる「体罰」事件や、教師による対生徒暴力事件について、関連する出来事を年表形式でまとめています。
1980年代
1981年4月1日 水戸五中事件(1976年)で暴行罪に問われた教師、二審東京高裁で逆転無罪判決。
1981年5月2日 千葉県立流山中央高校で、教師による激しい暴力・「体罰」や管理教育が横行していたことに怒った生徒ら約40人が、暴力や管理教育の中心となっていた生徒指導部の教諭3人をつるし上げる騒ぎ。その後同校では校内暴力・校長の自殺などの問題が立て続けに起こる。
1981年5月6日 茨城県大子町立小学校で、6年担任の男性教諭が男子児童に平手打ち。児童は病院で「特に治療を要するケガはなかった」と診断されたが、保護者側の苦情を受け、学校側が「病院にかかり精密検査を受けた実費と、単身赴任中の父親が事件の一報を受けて帰宅した際の交通費」として5万円を支払うことで示談。
1982年 愛知県のPTA、学校教育法の「体罰」禁止規定を削除し「体罰」を合法化するよう求める運動をおこなう。
1983年6月13日 「ヨット指導と称して暴行や監禁を繰り返し、計4人を死亡させた」などとして、愛知県の「戸塚ヨットスクール」校長・戸塚宏と同校コーチらが、訓練生への傷害致死容疑などで逮捕される。
1984年10月19日 埼玉県大宮市立宮原中学校(現・さいたま市立)で2年の男子生徒がバレーボール部顧問教諭から暴行を受け後遺症が残る。後遺症での体調不良のために欠席がちになったが、高校受験の際の調査書(内申書)には欠席理由について「登校拒否・情緒不安定」と虚偽記載をされ、受験した高校をすべて不合格になった。
1984年11月12日 神奈川県横須賀市立大楠中学校で、3年担任で保健体育科担当の男性教諭(28)が生徒5人を正座させて棒で殴る。その際に一人の生徒が反撃して教諭を殴り返したことで、逆上した教諭が生徒をナイフで刺しケガを負わせる。
1984年 兵庫県立松陽高校(高砂市)の野球部顧問教諭が、退部を申し出た部員を殴りケガを負わせたとして、傷害罪で罰金5万円の略式命令を受ける。加害教諭は後年に兵庫県立神戸高塚高校に異動し、校門圧死事件の加害者となった。
1985年3月23日 岐阜県立中津商業高校で、陸上部顧問からの「体罰」・暴行を苦にした部員の女子生徒が自殺。
1985年3月 「埼玉県入間市立中学校に在学していた1981年~82年当時、体育教員から繰り返し暴行を受け、登校禁止を強要された」として、被害生徒が入間市と教諭個人を相手取り浦和地裁に提訴。
1985年5月9日 岐阜県立岐陽高校の修学旅行中、宿泊先の茨城県で「持ち込みが禁止されたドライヤーを持ち込んだ」として担任教諭が暴行を加え、男子生徒を死亡させる。
1985年11月20日 「1985年9月に児童を殴って重傷を負わせた。他にも日常的に暴力や暴言を繰り返した」として、東京都教育委員会は同日付で江戸川区立清新第一小学校の男性教諭を諭旨免職。東京都での「体罰」による免職は初めて。
1986年3月18日 岐阜県立岐陽高校「体罰」死事件、加害教師に懲役3年の実刑判決。
1986年7月2日 石川県小松市立芦城中学校で、「忘れ物が多い」として担任教諭が2年生の男子生徒を殴り死亡させる。
1986年7月31日 千葉県船橋市立法典小学校の、学校側の協力の下で保護者らが自主運営している地域スポーツクラブ(指導者はすべて同校教員)のソフトボールチームで、「他校との練習試合に負けた罰」として、指導者(同校教諭)が試合会場の他校グラウンドを10周走らせ、その上で短距離ダッシュなどを課す罰を加えた。部員の児童1人が熱射病で倒れて死亡。
1986年9月17日 秋田県秋田市の秋田大学教育学部附属中学校(現・秋田大学教育文化学部附属中学校)で、理科担当の男性講師が、「理科室の分銅がバラバラに並べ替えられるいたずらがあった」として、1年生の授業でいたずらをしたとされる生徒3人を前に立たせ、同じクラスの生徒42人に対してこの生徒を平手打ちするよう強要。
1986年11月26日 東京都練馬区立上石神井中学校で社会科を担当する教諭が、「授業の課題を出さなかった」として生徒2人に暴行しケガを負わせる。しかし実際は教諭の勘違いで、生徒は提出していたという。東京都教育委員会は1987年7月、教諭を戒告処分。
1987年1月17日 川崎市立桜本小学校で、養護学級担任の男性教諭が2年男子児童の頭部を殴り死亡させる。児童は頭蓋骨に障害を持っていた。
1987年8月16日 夏の全国高校野球選手権大会に出場していた佐賀県立佐賀工業高校の野球部で、滞在中の宿舎で監督が、部員7人に対して金属バットで殴る「体罰」を加えた。うち部員2人がケガ。
1987年11月30日 大阪府東大阪市立小学校で4年担任の女性教諭が、「忘れ物をした」として男女児童13人に対し、下着姿にさせて授業を受けさせる。大阪法務局が事件を調査し、1988年までに当該教諭の行為を人権侵犯事案と認定して説示。
1987年8月26日 石川県小松市立芦城中学校「体罰」死事件、金沢地裁は加害教師に執行猶予付きの有罪判決。
1988年1月27日 東京都秋川市(現・あきる野市)の市立東中学校で、音楽科担当の男性教諭が3年の男子生徒を殴りケガをさせる。
1988年4月22日 神戸市立福田中学校で技術科を担当する男性教諭が、2年生の木材加工実習の授業中に生徒同士が喧嘩になりかけたとして指導した際、手に持っていたノミで生徒2人の腹を突きケガを負わせる。
1988年11月 川崎市立桜本小学校「体罰」死事件、最高裁で加害教諭への実刑判決が確定。
1989年8月 「埼玉県所沢市立向陽中学校在学中の1982~83年にかけて男性教諭から繰り返し暴行を受け、転校を余儀なくされ、家出や自殺未遂に追い込まれた」として、被害に遭った元生徒が訴えていた訴訟で、所沢市と加害教諭個人がそれぞれ50万円ずつ、計100万円の和解金を支払う内容で和解が成立。
1989年10月 三重県度会郡大宮町(現・度会郡大紀町)の大宮町立滝原中学校(現在は大紀町立大宮中学校への統合で閉校)の校長が、世界デザイン博覧会白鳥会場(名古屋市)への生徒引率の際、「3年の男子生徒3人が集合時間に遅れた」として生徒を殴りケガを負わせる。
1989年11月20日 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)、国連で採択。