「体罰」・対生徒暴力事件関連年表(~1979年)

いわゆる「体罰」事件や、教師による対生徒暴力事件について、関連する出来事を年表形式でまとめています。

~1979年) – (1980~89年) – (1990~99年) – (2000~09年) – (2010年~

~1945年

1878年12月 東京・金杉村の根岸小学校(現・東京都台東区)で、訓導が生徒をそろばんの上に座らせた上重い石を載せたり熱湯の入った茶碗を持たせるなどした。加害者の訓導は同僚訓導と折り合いが悪く、被害生徒はその折り合いの悪い同僚訓導の弟だったという。

1879年 教育令が公布され学校での「体罰」禁止が明記される。法令上はこの時以降現在に至るまで一貫して「体罰」は違法行為として禁止されている。

1912年12月 京都市柳池小学校(現在の中京区。日本初の小学校とされているが戦後は敷地を新制中学校に転用し閉校)で、5年児童が担任から平手打ちを受け、全治1週間のケガを負った。

1915年7月10日 東京市本所区の江東尋常小学校(現在の墨田区立両国小学校)で、訓導(36)が4年児童を引き倒してケガをさせたとして、罰金10円の判決。

1917年2月 東京府豊多摩郡内藤新宿町の花園小学校(現在の新宿区立花園小学校)で、子どもが教師(30)から殴られてケガをしたとして、生徒の保護者が当該教師を傷害容疑で告訴。

1933年9月 東京市松沢尋常小学校(現在の世田谷区立松沢小学校)で、担任訓導が「模試の答案に名前を書き忘れた」として6年女子児童を平手打ち。上級学校への受験指導激化が背景にあった。

1946年~1959年

1947年 学校教育法が成立。「体罰」禁止を明記

1949年 法務府「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」が出される。

1949年5月6日 東京都台東区立今戸中学校(現在は統廃合で台東区立桜橋中学校)で1年の学年担当の教諭が、「PTAの学級総会に保護者が1人も出席しなかったのは、生徒が出席を妨害したからに違いない」と思い込み、生徒179人を整列させて一人ずつ平手打ち。教諭は工作科(現在の美術科および技術科の前身の一つ)担当の教師として4月に採用されたばかりだったが、事件を受けて辞職。

1952年4月24日 東京都の東京学芸大学附属世田谷中学校で、授業中に「体罰」を受けた男子生徒が、直後に校舎から飛び降り自殺。

1955年12月 茨城県立取手第二高校の女子生徒が、同校の教師を実名で名指しし「体罰」を恨むとした遺書を残して自殺。

1957年7月5日 東京都の芝中学校で、男性教諭が生徒を殴り死亡させる。

1958年6月16日 東京都渋谷区立西原小学校で、4年学年担当の教諭が「自習中に騒いだ」として4年の男子児童を床に寝かせ、水に入ったバケツや椅子を乗せる「軍隊式体罰」。事件当時このクラスの担任教諭は校外出張で自習になり、隣のクラスの担任がこのクラスの自習の様子を見ていた。

1959年9月15日 宮城県米山町(現・登米市)の米岡小学校で、6年男子児童が「掃除の仕方が悪い」として、掃除の監督をしていた学年担当の教員(25)から殴られ、弾みで階段登り口の腰板に頭部を強打。児童はその後体調を崩して頭痛などを訴え、9月28日に死亡。

1960年代

1962年9月25日 福岡県立田川東高校3年の男子生徒が、担任教諭からの「体罰」を苦にして自殺。

1962年11月6日 群馬県太田市立南中学校で「校内にお菓子を持ち込んで昼休みに食べた罰」として、担任教諭が3年男子生徒8人に対し、校庭を走らせる罰を科す。直後に生徒1人が倒れて意識不明になり死亡。

1965年9月 群馬県高崎市立長野小学校で4年担任教諭が男子児童の頭部をたたく。児童は「体罰」後体調が悪化し、くも膜下出血で入院。教師は「事件に責任を感じた」として1966年2月に自殺。

1968年2月 1966年5月に「体罰」で児童2人に重傷を負わせた、群馬県榛東村立小学校教諭(事件後に辞職)に対し、東京高裁が実刑判決を下す。

1970年代

1970年7月10日 千葉県山田町立山倉中学校(1980年廃校。統廃合や自治体合併を経て現・香取市立山田中学校)で「宿題を忘れた罰」として、男性教諭が生徒約10人にグランドを10周走るよう命じる。生徒一人が直後に体調不良を訴え意識不明になり9日後に死亡。

1972年2月1日 横浜市立六浦中学校で体育担当の教諭が、座学形式の授業で「生徒21人が教科書を忘れた」として、教室の石油ストーブの上に置いていたやかんから、ストーブの灰かき棒で熱湯をすくいだし、生徒の首筋に熱湯を灰かき棒1杯(約6cc)ずつかけた。21人全員がやけどを負う。横浜市教委は教諭を停職10日の処分。

1973年10月4日 「必殺宙ぶらりん」事件。千葉県立安房農業高校の体育の授業で「必殺宙ぶらりん」なる罰を科された女子生徒が体育館2階から転落して重傷を負う。

1974年10月4日 茨城県大洋村(現・鉾田市)の村立白鳥東小学校で、男性教諭(当時25歳)が「学校対抗陸上大会の練習態度が気に入らない」として、選手に選出されていた高学年児童約30人を正座させた上で殴る。3名が打撲傷などのケガを負い手当を受けた。直後には治療を要しなかったとみられた6年の男子児童が帰宅後頭痛を訴えて入院し、11月に死亡した。

1976年5月12日 水戸五中事件。茨城県水戸市立第五中学校で、女性教諭が男子生徒に「体罰」。被害生徒は8日後に死亡。

1979年2月21日 滋賀県立安曇川高校で保健体育担当の男性教諭(当時34歳)が、担当クラスの2年の女子生徒が「盗難事故防止のために指定された更衣室で着替えることにしているのに、部活動の部室で着替えをおこなった」としてこの生徒を殴りつけた上、体育館ステージに正座させる。生徒は直後から首に痛みを訴え、首の骨を損傷している恐れがあると診断された。

1977年12月25日 福岡県立田川東高校「体罰」自殺事件(1962年)の民事訴訟で、最高裁は遺族の上告を棄却。「教師の行為は違法な懲戒行為だが、自殺との因果関係はない」とした判決が確定。

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