「体罰」・対生徒暴力事件関連年表(1990~99年)

いわゆる「体罰」事件や、教師による対生徒暴力事件について、関連する出来事を年表形式でまとめています。

~1979年) – (1980~89年) – (1990~99年) – (2000~09年) – (2010年~

1990年代

1990年

1990年6月11日 大阪市教育委員会、「日常的に『体罰』繰り返し、減給処分にした直後にもさらに数件繰り返した」として、大阪市立加賀屋中学校の男性教諭を停職1ヶ月の懲戒処分。大阪市では初の「体罰」での停職。

1990年6月 岐阜県多治見市立中学校で同年5月、担任教諭が生徒に暴力を加えた事件が発生。この事件に関連して、学校側が「事件に関連して父親から金銭を恐喝され、校長が現金を渡した」と主張して警察に被害届を出していたことがわかった。岐阜県警は教諭を傷害容疑で、父親を恐喝容疑で、それぞれ書類送検。

1990年7月4日 兵庫県立神戸高塚高校で校門圧死事件発生。

1990年7月12日 前年1989年に発生した、福岡市立中学校での「生き埋め体罰」事件が初めて報道される。

1991年

1991年6月14日 鳥取県倉吉市立河北小学校の音楽専科の女性教諭が6年の音楽の授業中、葬式の読経の際のかねを真似てメトロノームの音を鳴らす「葬式ごっこ」いじめをおこなった。

1991年6月15日 福岡市立長尾中学校で3年を担任していた男性教諭がホームルーム中、尿検査の結果が思わしくなかった生徒を名指しして「葬式ごっこ」を首謀し、クラスの生徒に参加を強要。

1991年7月28日 「風の子学園」事件。不登校を「治す」と自称した民間施設で入所生徒2人がコンテナに監禁され死亡。

1991年8月28日 青森県三戸町立三戸中学校2年の女子生徒が、所属するソフトボール部の顧問を恨むとした遺書を残して自殺。顧問の「体罰」が確認されたという。

1992年

1992年2月22日 東京都東久留米市立中学校2年の女子生徒が、女性教諭から受けた「体罰」や暴言を苦にして自殺。

1992年6月16日 長崎県立壱岐高校で宿泊学習中、宿舎で男子生徒が教諭から殴られる。生徒は8日後に死亡。

1993年

1993年9月6日 岐阜県立中津商業高校「体罰」自殺事件の民事訴訟、岐阜地裁は教諭の「体罰」を認定して違法と結論、岐阜県に損害賠償を命じる。

1993年10月8日 東京都台東区立中学校の校長が、「問題行動」があった生徒3人を校長室に呼び出して暴行。校長は減給処分の上1994年1月に校長職から更迭。

1993年10月13日 栃木県茂木町立茂木中学校3年の男子生徒が、教師からの「体罰」を苦にする遺書を残して自殺。

1994年

1994年6月2日 岡山市立岡北中学校で1993年9月、バドミントン部の部活動中に顧問教諭が生徒に暴行を加え網膜剥離のケガを負わせた問題で、岡山弁護士会は教諭の行為を人権侵害と認定し、同日付で教諭と学校に警告、また岡山市教委に防止策をとるよう勧告。

1994年4月22日 日本政府、子どもの権利条約を批准。同年5月16日公布、同年5月22日効力発生。

1994年9月9日 兵庫県龍野市立揖西西小学校6年の男子児童が、教師からの「体罰」を苦にして自殺。

1994年9月27日 岡山市立旭東中学校の男性教諭が、「制服の下にトレーナーを着ていた」などとして複数の生徒に暴行を加えたり下着姿で廊下に立たせるなどの行為を繰り返した問題で、岡山弁護士会は教諭の行為を人権侵害と認定し、同日付で教諭と学校に警告、また岡山市教委に再発防止を勧告。

1995年

1995年7月17日 福岡県の近畿大学附属女子高校で、商業科担当の男性教諭が女子生徒を殴って死亡させる。

1995年10月9日 「顧問を務めていた演劇部で、生徒に指導と称して暴行を加えてけがをさせた」として、奈良県警は奈良県立西の京高校の元教諭を傷害容疑で逮捕。元教諭は逮捕2日前に奈良県教委から諭旨免職処分を受けていた。その後部員へのわいせつ行為でも追起訴。

1996年

1996年3月19日 福岡市立壱岐中学校生き埋め暴行事件(1989年)の民事訴訟、福岡地裁は教諭らの生き埋め行為を「体罰」と認定して福岡市に賠償命じる。

1996年5月 大阪府堺市立日置荘小学校で、3年担任の女性教諭が同年4月下旬頃から、頭にケガをして防護ネットをかぶって登校した男子児童に対し、ケガをからかうような歌を歌ったり暴言を繰り返すいじめ行為をおこなっていたことが発覚。

1996年6月25日 近畿大学附属女子高校「体罰」死亡事件、福岡高裁で加害者への実刑判決。

1996年9月17日 東京都東久留米市立中央中学校「体罰」事件(1994年発生)の民事訴訟で、東京地裁は原告の訴えを一部認めて市に賠償命じる。判決では「体罰」容認の風潮を厳しく批判した。

1997年

1997年9月 兵庫県の夙川学院高校のソフトボール部で監督が部員への平手打ちなどの「体罰」。この事件を機に、監督の日常的な「体罰」がおこなわれているとして部員や保護者が強く反発して休部状態になる。監督は同年中に退職したのち、大学ソフトボール部の指導を経て硬式野球の指導者に転じたが、2007年には当時勤務していた神村学園高等部(鹿児島県)で再び「体罰」問題を起こした。

1998年

1998年6月15日 岡山市立中学校で体育の授業中、2年の男子生徒が勢い余って倉庫体育館のドアにぶつかりドアを壊したとして、授業担当教諭が立腹して暴行し腎臓出血のケガを負わせる。教諭は直後に退職届を出すが、岡山県教委は同年6月30日付で教諭を諭旨免職。「本来なら懲戒免職相当と判断したが、教諭が連日生徒を見舞うなど反省の態度を示している」として懲戒免職を見送ったという。

1998年8月 兵庫県高砂市立竜山中学校で、バレーボール部顧問が部員の顔に至近距離から執拗にバレーボールを強い力でぶつけ、急性硬膜下出血で重体にさせる。

1999年

1999年3月30日 大阪府美原町(現・堺市美原区)の町立さつき野中学校で生徒4人に暴行を加え男子生徒1人に脳内出血を発症させるなどのケガを負わせたとして、同校の男性教諭を停職3ヶ月の懲戒処分。

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