「体罰」・対生徒暴力事件関連年表(1990~99年)

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いわゆる「体罰」事件や、教師による対生徒暴力事件について、関連する出来事を年表形式でまとめています。

~1979年) – (1980~89年) – (1990~99年) – (2000~09年) – (2010~14年) – (2015~19年) – (2020年) – (2021年) – (2022年) – (2023年) – (2024年

1990年代

1990年

1990年6月11日 大阪市教育委員会、「日常的に『体罰』繰り返し、減給処分にした直後にもさらに数件繰り返した」として、大阪市立加賀屋中学校の男性教諭を停職1ヶ月の懲戒処分。大阪市では初の「体罰」での停職。

1990年6月 岐阜県多治見市立中学校で同年5月、担任教諭が生徒に暴力を加えた事件が発生。この事件に関連して、学校側が「事件に関連して父親から金銭を恐喝され、校長が現金を渡した」と主張して警察に被害届を出していたことがわかった。岐阜県警は教諭を傷害容疑で、父親を恐喝容疑で、それぞれ書類送検。

1990年7月4日 兵庫県立神戸高塚高校で校門圧死事件発生。

1990年7月12日 前年1989年に発生した、福岡市立中学校での「生き埋め体罰」事件が初めて報道される。

1991年

1991年6月14日 鳥取県倉吉市立河北小学校の音楽専科の女性教諭が6年の音楽の授業中、葬式の読経の際のかねを真似てメトロノームの音を鳴らす「葬式ごっこ」いじめをおこなった。

1991年6月15日 福岡市立長尾中学校で3年を担任していた男性教諭がホームルーム中、尿検査の結果が思わしくなかった生徒を名指しして「葬式ごっこ」を首謀し、クラスの生徒に参加を強要。

1991年7月28日 「風の子学園」事件。不登校を「治す」と自称した民間施設で入所生徒2人がコンテナに監禁され死亡。

1991年8月28日 青森県三戸町立三戸中学校2年の女子生徒が、所属するソフトボール部の顧問を恨むとした遺書を残して自殺。顧問の「体罰」が確認されたという。

1992年

1992年2月22日 東京都東久留米市立中学校2年の女子生徒が、女性教諭から受けた「体罰」や暴言を苦にして自殺。

1992年6月16日 長崎県立壱岐高校で宿泊学習中、宿舎で男子生徒が教諭から殴られる。生徒は8日後に死亡。

1992年6月 福岡市立小笹小学校の男性教諭が1989~91年度にかけ、担任クラスで日常的に「体罰」・暴力を繰り返していたことが発覚。保護者から配転を求める署名などが集められ、1992年4月より学級担任から外されていた。福岡市教委は1992年6月24日付で教諭を文書訓告にした上で、教育センターでの研修措置とした。

1992年8月21日 北九州市立企救きく中学校で、技術科担当の男性教諭(当時28歳)が生徒に対して、授業で使う変圧器で電流を流す罰を日常的におこなっていたとして、北九州市教育委員会が教諭を減給処分。

1992年10月8日 愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)の伊予三島市立南中学校(現・四国中央市立三島南中学校)で、2年担任の男性教諭(当時26歳)が「生徒が居眠りをしていた」として当該生徒に対して、紙の手動裁断機の上に手を置くように命じた。その際に裁断機の刃を落下させ、生徒にケガをさせる。

1993年

1993年3月18日 京都市立月輪つきのわ中学校で、生徒指導担当の男性教諭(当時35歳)が生徒に暴行を加えケガをさせる。加害教諭には1993年12月、罰金刑が確定。

1993年9月4日 「大阪市立此花工業高校1年だった1989年、授業中に実習助手から暴行を受けてケガをした。その際にもみ合いになったことをとらえて『一方的な対教師暴力』扱いで停学処分を受け、その後転校を余儀なくされた」などとして、元生徒が大阪市を訴えた訴訟で、大阪地裁は原告側の訴えを一部認め大阪市に40万円の支払いを命じる判決。

1993年9月6日 岐阜県立中津商業高校「体罰」自殺事件の民事訴訟、岐阜地裁は教諭の「体罰」を認定して違法と結論、岐阜県に損害賠償を命じる。

1993年10月8日 東京都台東区立中学校の校長が、「問題行動」があった生徒3人を校長室に呼び出して暴行。校長は減給処分の上1994年1月に校長職から更迭。

1993年10月13日 栃木県茂木もてぎ町立茂木中学校3年の男子生徒が、教師からの「体罰」を苦にする遺書を残して自殺。

1994年

1994年6月2日 岡山市立岡北こうほく中学校で1993年9月、バドミントン部の部活動中に顧問教諭が生徒に暴行を加え網膜剥離のケガを負わせた問題で、岡山弁護士会は教諭の行為を人権侵害と認定し、同日付で教諭と学校に警告、また岡山市教委に防止策をとるよう勧告。

1994年4月22日 日本政府、子どもの権利条約を批准。同年5月16日公布、同年5月22日効力発生。

1994年9月9日 兵庫県龍野市立揖西西いっさいにし小学校6年の男子児童が、教師からの「体罰」を苦にして自殺。

1994年9月27日 岡山市立旭東中学校の男性教諭が、「制服の下にトレーナーを着ていた」などとして複数の生徒に暴行を加えたり下着姿で廊下に立たせるなどの行為を繰り返した問題で、岡山弁護士会は教諭の行為を人権侵害と認定し、同日付で教諭と学校に警告、また岡山市教委に再発防止を勧告。

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1995年

1995年7月17日 福岡県の近畿大学附属女子高校で、商業科担当の男性教諭が女子生徒を殴って死亡させる。

1995年9月 福岡県立福岡盲学校(現・福岡視覚支援学校)で1994年度、視覚障害と知的障害の重複障害を持つ6年男子児童をたたいて内出血を負わせるなど、「体罰」・虐待行為が繰り返されたとして、法務局が加害教員2人を説示。

1995年10月9日 「顧問を務めていた演劇部で、生徒に指導と称して暴行を加えてけがをさせた」として、奈良県警は奈良県立西の京高校の元教諭を傷害容疑で逮捕。元教諭は逮捕2日前に奈良県教委から諭旨免職処分を受けていた。その後部員へのわいせつ行為でも追起訴。

1996年

1996年2月16日 大阪府立吹田高校の卒業生らが記者会見。同校生徒指導部長の男性教諭(当時36歳)が生徒に対して、日常的に暴力行為やセクハラ行為を繰り返していたことを告発。

1996年2月23日 大阪府教育委員会、生徒に「体罰」を繰り返したとして、大阪府立阿倍野高校の男性教諭(当時31歳)を減給処分。1995年7月に生徒2人に飛びかかり、乗っていた自転車ごと押し倒して殴りつけケガをさせるなどしたなど18件の「体罰」が認定された。

1996年3月19日 福岡市立壱岐中学校生き埋め暴行事件(1989年)の民事訴訟、福岡地裁は教諭らの生き埋め行為を「体罰」と認定して福岡市に賠償命じる。

1996年4月11日 大阪市立松虫中学校で保健体育科を担当する原田隆史教諭が、授業で「着替えが遅かった」などとして生徒を正座させるなどした。一部新聞で報道され、大阪市教委が是正指導をおこなう。原田氏はその後教育評論家として書籍執筆・講演・教師塾主宰、企業研修・人材育成などの活動をおこなうようになり、2003年に発行した著書の中でこの事件に触れ、当時新聞報道された事実経過は大筋で認めた上で、正しかったと認識しているような見解を示した。

1996年5月 大阪府堺市立日置荘ひきしょう小学校で、3年担任の女性教諭が同年4月下旬頃から、頭にケガをして防護ネットをかぶって登校した男子児童に対し、ケガをからかうような歌を歌ったり暴言を繰り返すいじめ行為をおこなっていたことが発覚。

1996年6月25日 近畿大学附属女子高校「体罰」死亡事件、福岡高裁で加害者への実刑判決。

1996年9月17日 東京都東久留米市立中央中学校「体罰」事件(1994年発生)の民事訴訟で、東京地裁は原告の訴えを一部認めて市に賠償命じる。判決では「体罰」容認の風潮を厳しく批判した。

1997年

1997年2月19日 東京都教育委員会は、「1996年7月の林間学校中、生徒の宿泊室におやつがあったことに立腹し、ナイフを取り出して生徒を脅すなどした上に、殴る蹴るなどの暴行を加えた」として、町田市立第三中学校の男性教諭を停職3ヶ月の懲戒処分にした。

1997年5月8日 「東京都目黒区立鷹番小学校1年だった1996年、担任教諭から暴行を受けた。そのことで担任が交代したが、同じクラスの一部保護者からの攻撃の矛先を向けられて中傷されたことで、不登校になり転校を余儀なくされた」などとして、被害児童と保護者が提訴。

1997年9月 兵庫県の夙川学院高校のソフトボール部で監督が部員への平手打ちなどの「体罰」。この事件を機に、監督の日常的な「体罰」がおこなわれているとして部員や保護者が強く反発して休部状態になる。監督は同年中に退職したのち、大学ソフトボール部の指導を経て硬式野球の指導者に転じたが、2007年には当時勤務していた神村学園高等部(鹿児島県)で再び「体罰」問題を起こした。

1997年10月19日 埼玉県警深谷署は「1997年10月16日、黒板の清掃当番だった男子生徒に対し、清掃の仕方が気に入らなかったとして顔面を蹴りつけ、あごの骨折などの重症を負わせた」として、埼玉県立深谷高校の社会科担当の男性教諭(当時41歳)を傷害容疑で逮捕。教諭には1997年11月7日付で罰金30万円の略式命令。埼玉県教委は1997年11月19日付で停職3ヶ月の懲戒処分。

1997年12月19日 神戸市立小学校で、2年の担任教諭が男子児童に対し「授業中の態度が悪い」として切り出しナイフを突きつける。

1998年

1998年5月 「愛媛県立高校に在学していた1989年に教諭から暴行を受けてケガをした。一度は和解したが和解後に後遺症が悪化した」として被害に遭った元生徒が愛媛県を訴えていた訴訟で、松山地裁は原告の請求を棄却。教諭の暴行は一部認めたものの、後遺症悪化との因果関係を認めず。

1998年6月15日 岡山市立中学校で体育の授業中、2年の男子生徒が勢い余って倉庫体育館のドアにぶつかりドアを壊したとして、授業担当教諭が立腹して暴行し腎臓出血のケガを負わせる。教諭は直後に退職届を出すが、岡山県教委は同年6月30日付で教諭を諭旨免職。「本来なら懲戒免職相当と判断したが、教諭が連日生徒を見舞うなど反省の態度を示している」として懲戒免職を見送ったという。

1998年8月 兵庫県高砂市立竜山中学校で、バレーボール部顧問が部員の顔に至近距離から執拗にバレーボールを強い力でぶつけ、急性硬膜下出血で重体にさせる。

1999年

1999年3月 熊本県宇土郡(現・宇城市)の町立小学校で1997年度3年・1998年度4年(2年間持ち上がり)を担任していた女性教諭が、コンパスを投げつける・三角定規で殴る・給食を食べさせないなどの行為を児童に繰り返し、児童2人を不登校に追い込んでいたことが発覚。教諭の暴行でケガをしたとして、女子児童の保護者が1999年3月8日付で警察に被害届を出す。教諭は事件発覚後熊本県教委に辞職願を出し、処分を受けないまま1999年3月の年度末に依願退職。

1999年3月30日 大阪府美原町(現・堺市美原区)の町立さつき野中学校で生徒4人に暴行を加え男子生徒1人に脳内出血を発症させるなどのケガを負わせたとして、同校の男性教諭を停職3ヶ月の懲戒処分。

1999年10月21日 福島県教育委員会、「1996~98年にかけ、バレーボール部員の生徒への暴行を繰り返し、両眼網膜剥離を発症させた」として、福島県立福島工業高でバレーボール部顧問を務める男性教諭を停職3ヶ月の懲戒処分。

~1979年) – (1980~89年) – (1990~99年) – (2000~09年) – (2010~14年) – (2015~19年) – (2020年) – (2021年) – (2022年) – (2023年) – (2024年
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