いじめ事件に関する出来事を年表形式でまとめています。
1990年代
1990年
1990年2月3日 福岡市立中学校3年の女子生徒が1989年12月15日に「いじめられ死にたい」とする遺書を残して自殺した問題で、いじめに加担したとして、同級生の女子生徒5人を暴力行為の疑いで書類送検。
1990年12月26日 「福島県いわき市立小川中学校3年の男子生徒が1985年9月25日に自殺したのはいじめが原因。学校が適切な対応をしなかった」として遺族が訴えた訴訟で、福島地裁いわき支部はいじめと自殺との因果関係を認め、市に約1900万円を認めるよう命じる判決。双方とも控訴せず判決確定。加害生徒とは1990年8月に和解金500万円を支払う内容での和解が成立している。
1991年
1991年1月 佐賀県出身の男性(当時27歳)が、「中学生時代に受けたいじめへの報復」として1991年の正月に出身中学校の同窓会を開き、毒入りビールや爆発物で同級生を殺害する計画を立てていたことが発覚。事前に摘発されて未遂に終わっていた。
1991年6月14日 鳥取県倉吉市立河北小学校の音楽専科の女性教諭が6年の音楽の授業中、「ある男子児童が授業中の質問に答えられず黙っていた」などとして、「お前は死人か」などと罵倒したうえ、音楽室の備品のメトロノームを児童の前に突きつけ、「葬式をしてあげよう」などと発言しながら、葬式の読経の際のかねを真似てメトロノームの音を鳴らす「葬式ごっこ」いじめをおこなった。
1991年6月15日 福岡市立長尾中学校で3年を担任していた男性教諭がホームルーム中、尿検査の結果が思わしくなかった生徒を名指しして「葬式ごっこ」を首謀し、クラスの生徒に参加を強要。
1991年11月15日 大阪府豊中市立第十五中学校3年の女子生徒が、同級生4人から集団暴行を受け1週間後に死亡。被害生徒が障害を持っていたことを理由としたいじめがあったことが指摘されている。豊中市は当時、障害児を通常学級で学習させる交流教育に取り組み、障害児教育の先進地と認識されていた。そのため、障害児教育のあり方と結びつけて事件をとらえるような報道・分析等もおこなわれた。
1991年12月20日 日本大学工学部(福島県郡山市)の学生寮で、寮生の男子学生が自殺未遂。寮内で他の寮生からプロレス技をかけられる・洗濯などの寮内作業を押しつけられるなどのいじめを受けていた。
1992年
1992年2月20日 「神奈川県大和市立中学校で1990年、当時3年の男子生徒が同級生からトイレ用洗剤を繰り返しかけられるなどしてやけどを負った」として、生徒の両親が市を相手取って訴えた訴訟で、「子どもがいじめによってやけどをしたからといって、親の請求権が認められるわけではない」として請求棄却の判決。
1993年
1993年1月13日 山形マット死事件。山形県新庄市立明倫中学校1年の男子生徒が、体育館のマットに上半身を押しこまれた状態で窒息死しているのが発見される。同級生7人が関与したいじめと指摘されたが、刑事処分・民事訴訟とも判断は二転三転した。
1993年4月20日 大阪府警少年課と東淀川署は、「同年4月17日、同級生を自宅に呼び出しプロレス技などの暴行をかけて意識不明にさせ翌日に死亡させた」として、大阪市立大桐中学校(東淀川区)3年の男子生徒2人を傷害致死容疑で逮捕。被害生徒は加害生徒側から日常的にいじめを受けていて、事件当日は加害者宅に呼び出されて暴行を受けたという。
1994年
1994年5月20日 中野富士見中学校いじめ自殺事件の民事訴訟、東京高裁はいじめを認めなかった一審判決を変更、生徒への継続的ないじめを認定し約1150万円の損害賠償を命じる判決。
1994年7月15日 神奈川県津久井町立(現・相模原市立)中野中学校2年の男子生徒が、同級生からのいじめを苦にして自殺。
1994年11月27日 愛知県西尾市立東部中学校2年の男子生徒が、同級生4人からのいじめや恐喝を訴える遺書を残して自殺。いじめが社会問題となるきっかけとなった。
1994年12月13日 愛知県岡崎市立福岡中学校1年の男子生徒が自殺。長期にいじめを受けていたと指摘された。
1995年
1995年3月15日 福岡県で「中学生の息子へのいじめをやめさせる」とした父親が、加害生徒を呼び出し包丁の峰で頭を殴るなどしたとして、警察が父親を逮捕。
1995年3月24日 「大阪市立十三中学校(淀川区)在学中にいじめに遭い、3年生だった1988年11月には暴行を受けて後遺症を負った」として元生徒が訴えた訴訟で、大阪地裁は生徒側の主張をほぼ全面的に 認める判決。生徒からのいじめ被害の具体的な申告がなくても、学校側はあらゆる機会をとらえ細心の注意を払い、学校全体として適切ないじめ防止措置をとる義務があると指摘。
1995年4月28日 長崎市立淵中学校の女子生徒がいじめを苦にして校舎から飛び降り自殺。
1995年7月13日 鹿児島県出水市立米ノ津中学校3年だった男子生徒が1994年10月29日に自殺した問題で、遺族側が鹿児島県子どもの権利委員会に人権救済の申し立て。 学校側は[いじめは確認できない」と結論づけたが、遺族側が同学年の生徒に独自調査をおこなったところ、いじめがあったとする複数の証言があったという。
1995年11月27日 新潟県上越市立春日中学校1年の男子生徒が自殺。いじめを苦にするメモを残していた。
1995年12月6日 千葉県神崎町立神崎中学校3年の女子生徒が、同級生の実名を名指ししいじめを受けたとする遺書を残して自殺。
1996年
1996年1月8日 兵庫県立神戸商業高校1年の女子生徒が自殺。「態度でのいじめを受けていた」とするメモを残していた。生徒が使用していた宿題ノートには、同級生とみられる筆跡でこの生徒を中傷するような落書きがされていた。
1996年1月 千葉県神崎町立神崎中学校で「在学中にいじめを受けていた」として、卒業生の男子生徒とその保護者が、町と加害者6人の保護者を相手取り提訴。同校では1995年12月に女子生徒のいじめ自殺事件があったばかり。
1996年1月23日 福岡県城島町立(現・久留米市立)城島中学校3年の男子生徒が、同級生3人の名前を名指ししていじめ・恐喝を受けたとする遺書を残して自殺。
1996年1月28日 愛媛県八幡浜市立松柏中学校2年の女子生徒が自殺。いじめが指摘される。
1996年2月26日 群馬県水上町(現・みなかみ町)の町立水上中学校1年生の女子生徒が授業中に男子生徒からエアガンで撃たれ軽傷を負った。被害生徒は普段からいじめを受けていたという。
1996年5月 大阪府堺市立日置荘小学校で、3年担任の女性教諭が同年4月下旬頃から、頭にケガをして防護ネットをかぶって登校した男子児童に対し、ケガをからかうような歌を歌ったり暴言を繰り返すいじめ行為をおこなっていたことが発覚。
1996年9月18日 鹿児島県知覧町立(現・南九州市立)知覧中学校3年の男子生徒が「いじめを受けた」と加害者を名指しする遺書を残して自殺。
1996年9月25日 「いじめ加害者とされて幼稚園を退園させられたのは不当」として、札幌市内の私立幼稚園に通っていた元園児と保護者が、幼稚園を運営する学校法人とその経営者を相手取って訴えた訴訟で、札幌地裁は「いじめに該当せず」「退園手続きも適切ではなかった」として、園側に50万円の損害賠償を命じる判決。
1996年9月30日 鹿児島県知覧町立中学校いじめ自殺事件で、加害生徒の父親が自殺を図り翌日に死亡。事件発覚後いじめを気に病み、被害者宅を連日訪問して詫びていたという。
1996年10月25日 石川県七塚町立(現・かほく市立)七塚小学校に在学していた当時、集団いじめでケガをし不登校に追い込まれたとして、被害児童側が加害児童8人の保護者と町を相手取り約330万円の損害賠償を求めた訴訟で、金沢地裁はいじめを認め、町と保護者が連帯して約35万円を支払うよう命じる判決。
1997年
1997年1月7日 長野県須坂市立常盤中学校1年の男子生徒が「4人からいじめを受けた」とする遺書を残して自殺。
1997年3月5日 「神奈川県横須賀市内の高校に通っていた娘がいじめを受けた」として、加害者とされる生徒を通学途上で待ち伏せして殴りケガをさせたとして、神奈川県警横須賀署は母親(41)を傷害容疑で逮捕。
1997年4月 千葉県旭市立中学校3年だった女子生徒が1997年2月、「いじめで不登校になった」として、いじめへの不適切対応をおこなった教諭に職員室で抗議した際、居合わせた別の教師から「うるさい」などと怒鳴られた上に腕をつかまれて職員室から引きずり出されるなどの暴行を受けたとして、同日までに暴行加害者の教師を刑事告訴。
1997年5月25日 福岡県三潴町立三潴中学校3年の男子生徒が、いじめ被害を示唆するメモを残して自殺。
1997年6月 徳島市立小学校で1996年度に4年を担任していた教諭(40代)が特定の児童1人に対し、「相性が合わない」「(体育の授業の班対抗リレーでは同じ班のほかの児童に対し)こいつのせいで負けた」など暴言を繰り返す、正しく解答している答案に「答えをみて書いただろう」と言いがかりを付ける、など日常的ないじめ行為をおこなっていたと指摘され、教育委員会と当該校校長がその旨を発表した。しかし同じ学校の教職員や同じクラスだった児童の保護者が「事実確認が一方的で不十分、外部団体からの圧力もあった。教師への人権侵害」「当該教諭は子どもに慕われていた」などと市教委に抗議し、市教委は事実認定を撤回した。
1998年
1998年2月5日 「高校時代にいじめられていた報復」として、1996年4月に元同級生の自宅を訪問してバタフライナイフで刺殺したとして、殺人と銃刀法違反に問われていた愛知県の男性被告(21)に対し、名古屋地裁は懲役6年(求刑懲役8年)の判決。いじめが犯行の動機になったと指摘した。
1998年6月 「福岡県久留米市立中学校に通っていた息子がいじめを受けて不登校になったが、担任が『いじめ訴えは自作自演』と決めつける態度をとった。話し合いを続けたが平行線で、担任はその後異動した」として、担任だった教諭の異動先の久留米市内の別の中学校を1995年9月に訪問して面会を求めた際、別の男性教諭から暴行を受けたとして、父親が久留米市や福岡県を相手取って提訴していたことが報じられる。
1998年7月25日 神奈川県立野庭高校1年の女子生徒が、所属していた吹奏楽部でのいじめを苦にして自宅で自殺を図り、2日後に死亡。
1999年
1999年1月25日 茨城県日立市立中学校1年の男子生徒が自殺。この生徒は生前、通っていた学習塾の講師に「同じ学校の同学年の生徒に首を絞められた。悪口を言われた」などといじめ被害を訴え、塾講師が学校に連絡していた。
1999年3月3日 千葉県八千代市立中学校1年の男子生徒が「上級生から喫煙を強要された」とするメモを残して自殺。関与した生徒の氏名もあげていた。この生徒が「上級生からいじめられている」と訴えていたのを聞いた生徒もいた。
1999年7月19日 福岡県豊前市立角田中学校で1995年4月、当時2年の男子生徒がいじめを苦にして自殺した問題をめぐり、市が遺族に850万円の賠償金を支払う内容での和解が市議会で可決。遺族側からの損害賠償請求はなかったが、市がいじめの責任を認めた。
1999年8月 名古屋市立富士見台小学校(千種区)で1998年度に4年生を担任していた教諭が1998年5月、担任クラスで特定の児童に対して「いじめる会」と称して、学級会でその児童への糾弾会をおこない、同級生に当該児童の欠点を発言させていたことが発覚。
1999年8月 和歌山市立小学校校長が「いじめ対応への心労」として同年8月末日付で辞職。同校1年の男子児童へのいじめについて、校長が「いじめはない」と対応したことに不満を持った父親が、話し合いの様子を映像・音声付きで告発するウェブサイトを同年7月末に公開していた。和歌山市教育委員会は1999年9月、「告発サイトで校長・担任教諭の実名が掲載されたのは人権侵害」としてプロバイダに実名削除を申し入れる。
1999年9月1日 静岡県藤枝市立中学校1年の男子生徒が自殺。「みんな死ね」と書き込まれたノートが見つかり、いじめの可能性を視野に入れて調査。
1999年9月29日 東京都新宿区の私立保善高校ラグビー部でいじめを受けて退学に追い込まれたとして、1996年度に入学し97年に退学した元生徒が訴えていた訴訟で、東京地裁は学校などに100万円の損害賠償を支払うよう命じる判決。
1999年11月26日 栃木県鹿沼市立北犬飼中学校3年の男子生徒が、いじめを苦にして自殺。